ペルーの首都リマの〈ホルへ・チャベス空港〉に着き、日系ペルー人が経営するゲストハウスにたどり着いたのは夜の11時過ぎ。ニューヨークから飛行機で数時間掛けて、北半球のアメリカから南米ペルーへ来てしまった。
深夜に、それも全く未知の国に、言葉を全く知らない、両替したばかりの現地の金を握りしめながら、空港やターミナルの外に一歩踏み出すということは、旅をする人間にとってはどうしようもない不安を抱えつつ、同時に度胸を試される瞬間だ。
現地の人間たちの熱い視線を浴びながら空港の外に出て、その国の空気を深く吸いこみ気持ちを落ち着かせて、むしろ平静を装い何でもない顔をして、さあ一歩踏み出そうとする行為。
この旅の先々で、幾度となく繰り返すこととなった。私にとっては自分の力量を試されるものであり、その中でも興奮を抑えきれず、顔が自然とニヤけてしまうのを何とかこらえることでもあった。
この瞬間は、正直たまらない。
そしてそんな人間を喰いものにしようとする輩もいることも確かだ。
それはどこの国でもそうなのかもしれない。
こいつらに負けないためのには、内心不安でも堂々と胸を張って、落ち着いて行動し、冷静に判断することだ。
南米=危険。
そういうイメージを多くの日本人は持っているだろう。私もその一人だった。いや多くの西洋人も同じイメージを持っている。ニューヨークのユースを旅立つとき、“これからペルーに飛んで、そのままバスで南下してチリのサンチアゴを目指すんだ…”と話したら、誰もが“ペルー?!”、“気を付けろよ…”と忠告した。バスが崖から転げ落ちるらしい、強盗に注意しろ、、彼らからそんな話しか聞かなかった。
空港のトイレで、腹巻き型の貴重品袋にパスポートと現金を隠した。
ポケットの中には盗まれてもいいように、しわくちゃの数ドル分の金をつっこんだ。
トイレの鏡の前で、彫りの深い黒髪のペルー人の男達が、テカテカの髪を整えていた。どうやらこの国の男達には、横分けが流行っているらしい。
飛行機で隣に居合わせたアメリカ人のデニーさんが言っていた“ペルーは本当に良い国よ”という言葉を心から信じたかった。
セントロ地区〈中心部〉にタクシーが近付くと、徐々に路上に寝ている人間たちが見えた。暗闇に鈍く光る大きな教会がどこか威圧的で不気味だった。私は助手席のシートに座り込み、運転手の話すスペイン語訛りの英語をうんざりしながら聞き流していた。夜の街を、POLICIA〈警官〉がパトロールしていた。この街を夜、出歩くことは賢明ではない。
宿についてシャワーを浴び、静かなロビーで一人くつろいだ。まだ少し興奮している。
〈リマ〉の夜は涼しくてインドシナとは違う暑さだ。ニューヨークは寒かった。半袖と短パンを着られることが嬉しかった。セントロの夜はとても静かだ。この旅は今のところ順調だ。読み終わった日本の文庫本をこの宿に置いていくことにした。
明日にでも、ここに泊っている日本人にペルーや南米の情報を聞こうと思った。
明後日には〈マチュピチュ〉に向かう予定だ。
南米の旅がはじまった。
“ブエナス・ ノーチェス”