ニューヨークはまるで小説に出てくるような街だった。
この街は人間臭くて、クレイジーでエキサイティングだ。
私はニューヨークに洗練された都会のイメージを持っていたが、この街を歩くたびにそのイメージは覆されていった。
2007年4月9日、東京からニューヨークへ向かい、いよいよこの旅が始まった。
ニューヨークの玄関口の一つであるニューアーク・リバティ国際空港はハドソン川を挟んだニューヨーク州の対岸のニュージャージー州にある。そこから何とかシャトルバスに乗り込み、マンハッタンに降りたったのだ。
ニューヨークはもうすぐ春を迎えるはずなのにまだ寒くて、私は空港の外に出たらまずダウンジャケットを羽織った。私が乗ったPortAuthorityBusTerminal行きのバスは、いよいよリンカーン・トンネルを抜けようとしている。このトンネルを抜ければマンハッタンだ。いつか憧れたニューヨークだ。
バスを降りて自分の足でニューヨークを歩き始めると、私は激しく興奮した。
ビルの合間から見える突き抜けるような空と、澄み切った冷たい空気と、クラクションの音と人間の喧騒がそこにはあった。“ついにニューヨークに来た”、そう思った。
私はバックパックを背負い、すました顔でガムを噛みポケットに手を突っ込みながら、まるでニューヨークには何度も来ているような顔つきで、なんとか街を歩くことで精一杯だった。
しかしそんな私のことなんか誰も気にしていない。
ニューヨーカーたちはみんな早足で歩いている。信号が青に変わる前にみんなせかせかと歩き始める。他人のことなんか気にしてられないのだ。
ニューヨークでは、街を東西に走る通りはストリートと呼ばれ、また南北を走る大通りはアベニューと呼ばれ、順に番号がつけられている。そのため街は碁盤の目のように区切られていて、区切られた一つの区域を“ブロック”と呼ぶ。これさえ分かっていれば、この街で迷うことはないだろう。ニューヨークではワン・ブロック歩くごとに、あらゆる発見があった。
ピザ屋をのぞき込んだら、イタリア系の従業員が働いていた。黒人の男がぶつぶつ独り言を言って歩いている。地下鉄に乗ると、中国人のおっさんが“ワン・ダラー、ワン・ダラー”と言いながら土産物を売って歩いている。ホームでは牧師らしい黒人が人々に説教している。
まるで雑多なのだ。あらゆる人種がこの街にはいる。想像してた以上のものだった。
“まるで映画の世界だな”、そう思った。
私はこの街に来たことが嬉しくて、顔がニヤつくのを何とかこらえた。
地下鉄に乗っている人間を見れば、ニューヨークという街が分かる。見ていて多いのはヒスパニックやプエルトリコ人で、次にブラックだ。アングロサクソンっぽい人は見た感じ5%くらい。アジア人は1%で一番少ない。そのまま、この街に住む人間の比率を表わしている。
黒人やヒスパニック系の人間は肉体労働、交通整理、タクシードライバーなどして働いているようだ。空港で黒人の案内係にバスについて尋ねたが、アクセントが強くて全く理解できなかった。この街ではみんなありつける仕事にありついて力強く生きている。
それは“ニューヨーク”という肥大しすぎた舞台で、人間一人ひとりが必死に主役を演じているようにも見えた。
あとで知ったのだが、ニューアーク・リバティ国際空港は、2001年に9/11テロ事件の犠牲者を追悼するかたちで、従来の名前の「ニューアーク」に「リバティー」が加えられ、「ニューアーク・リバティー国際空港」となったそうだ。
私はこの旅で自由になれるだろうか。