南インドは、バンガロールやマイソール、ビジャプール、ゴアに近いパナジ、ケララ州もとてもいいところらしい。北に行けばジャンムー・カシミールやラダック地方、ラジャスタン州もまたいいらしい。プリーやリシケシュも話しを聞くと魅力的だ。
出会ったインド人や旅行者と話していると、いろいろな場所へ行きたくなる。インドをがっつり周るには一年は必要だという。そうなってくると旅がなかなか止められなくなり、困ったヒトになってしまう。インドはそれくらい魅力的で大きな国だ。
“ゴアにはもう行ったのか?”
インドに来てからよく尋ねられた。それもインド人によく。ゴアの海はとても美しい、だから絶対行くべきだと。
かつてヒッピーの聖地と呼ばれていたゴア。しかし今は、“ゴアは終わった”というのが定説だ。私はもともとゴアに行く気はなかった。それはゴアは多くのツーリストが集まるし、そういうところはあまり好きではないからだ。
“静かで小さい町を周るのが好きなんだよね”、アウランガバードで泊っていた宿の主人にそう言うと、“だったらゴアより数十キロ南にあるゴカルナへ行けばいい”、“静かで人が少ないきれいなビーチがあるよ”、そう言ってくれた。
ではゴアにでも行ってみようか。
そんないきさつでゴアに来てみると、そこには期待を裏切らないものがあった。
私が滞在したビーチには、青い空と海、爽やかな風、太陽と緑ときれいな空気があった。夜は満月と虫が放つ光が見えて、自然が奏でる音があった。
ビーチに寝そべりそれを全身で浴びていると、すべてが洗われていくようで、とても気持ちが良かった。そんな場所を求めて旅行者が集まってくるから、ビーチにはゆっくりとした時間が流れている。心地よいピースな時間が流れている。
海を眺めて食べる食事もまた格別だった。自然の恵みに感謝して、今こうして旅していられることに感謝しながら、ゆっくり食事を楽しんだ。
アジア圏に来てから、私は多くを求めなくなった。トルコ、シリアで始まったラマザンで食事の量は減ったし、イランに入ってから酒は飲まなくなった。インドでは必然的に野菜中心の食事を摂るようになった。そうなってくると体の調子はいいし、過去10年間で一番健康的な生活をしているんじゃないかと思えてくる。いい感じだ。
一日中ビーチで無邪気に遊んでいる彼らを眺めていると、“俺たちはいつまでたっても子供だ”、そう思えてくる。そうなのだ。私たちは自然に生かされている子供だ。ここに来てそのことを気付かされる。本来人間は、自然に囲まれて生きていくべきものだ。押しよせる波のように、自然の胎動と波長を合わせ、生きていくものだ。
自然に生かされていること。人間は大切なことを忘れてしまっている。
そんなことを考えながらビーチで日光浴をしていると、ぽつりぽつりと大きな荷物を背負った旅人がやって来る。とある者は、このビーチを名残惜しそうに離れていく。みんな一様に、波打ち際を歩いている。自然と笑顔で、“Hi!”とか、“Bye!”とか、声を掛け合う。
“Everything 's gonna be alright, everything 's gonna be alright”
どこからかボブの歌が聞こえて来た。
旅をしている人間は弱い存在かもしれない。波が彼らの付けた足跡を消してしまうように、いつ旅が終わるかもしれない危うい存在だ。それでも彼らは、自分の足で力強く歩いている。一歩一歩、少しずつ前へ向かって歩いている。
それは私たちには夢があるからだ。希望があるからだ。大きな心と自由な精神を持とうとしているからだ。だから旅することは美しい。旅は非日常かもしれないしただの遊びかもしれない。だけど旅は最高の遊びだ。
旅の目的や期間は人それぞれ違うし、旅のスタイルも人それぞれだ。みんな自分の国の事情を抱えて旅をしている。そうやってみんな旅をしている。しかし私たちにはそれに縛られない自由さを持っている。だから自分らしい旅を楽しめばいい。
夕方、太陽が沈む頃に入る海もまた、きれいで気持ちがよかった。
ゴアはそういうことを教えてくれた。
そういう意味でゴアは多くの旅人を魅了して止まない土地なのかもしれない。私もそんな旅を愛する一人であれたこと、旅という夢を叶えられたことを、少しばかり誇りに思いたいと思う。
“旅をして本当に良かったと思っている”
この言葉が、この旅の最後を締めくくれる唯一の言葉だ。