目指す2番目の札所は、『真福寺』というお寺だ。
日も暮れてきているので、札所が閉まる5時まで出来るだけ廻ろうと思った。
山へ続くだらだらした道を歩いていると、ところどころに「巡礼道」という小さな標識が目に付いた。これを辿ることで、次の札所に行くことができるのだろう。
巡礼者が道に迷わないように、おそらく地元の人々が親切に掲げたものだ。
途中、自転車に乗った子供たちとすれ違った。私が巡礼者だと分かったのか、“こんにちは~!”と元気に挨拶してきてくれた。彼らの挨拶がとても気持ちよかった。
いよいよ山道へ入ろうというとき、畑仕事の帰りなのかゆっくり歩くおばあさんを追い越した。“アンタ2番さんへ行くのかい?私がまだ若かったら一緒に行きたいわ”と笑いながら話しかけてくれた。
この秩父という土地は、やはり〈巡礼〉というものが人々の間に根ざしているのだろう…
こういった巡礼者に対する人々の優しさが、私の緊張をほぐし、嬉しい気持ちにさせてくれた。
きつい勾配の山道が延々と続く。道は舗装されているが、車一台がやっと通れるくらいの杉に囲まれた長い道だった。私はテントと寝袋という大きな荷物を背負いながら、“まだか、まだか…”と息を切らせながらひたすら歩いた。
峠を越えると民家がちらほら見え始め、そこに『真福寺』があった。
真福寺は住職が居ない無住職の古寺で、長い間この山の頂上で静かにたたずんでいるような印象だった。
境内は木々に囲まれうっすら暗く、人が来ている気配が全くしない。辺りは静まり返り、ここに居るのは私一人だけで少し心細い気もしてきた。しかし本堂の賽銭箱の隣には、椎茸が詰まった袋がいくつか並べられていて、一袋200円で売られていた。おそらく近くに住む人々が無人販売として、朝早くにでも置いていったものだろう。
一通りの作法をして休んでいると、農家の作業着を着た老夫婦が軽トラックに乗って現われた。2人とも少し腰が曲がり、言葉にはどこか訛が感じ取れる。さっきの椎茸の主であり、ここの住職ではないがこの寺を定期的に管理していると話してくれた。
“ここまで歩いて登ってくる人は珍しい。せっかくだから拝んでいってください…”
そう言って男性は古い南京錠を開けて、私を観音様の顔が見える本堂の中まで通してくれた。
私は驚いてしまった。
本堂の中にはたくさんの賽銭が投げ込まれていて、観音様の周りにはたくさんの千羽鶴や人形など、何年も前に供えられたと感じさせるお供え物が所狭しと置かれているのだ。
“どなたかが、いつの間にか置いていくんです…”
その光景を目の前にして、私はもう一度手を合わせずにはいられなかった。
ここに散らばっている無数の賽銭は、どんな願いが込められて投げ入れられたのだろうか。
この大きな人形を置いていった人は、どんな気持ちでここにやって来たのだろうか。
この千羽鶴に込められた願いは、果たして叶えられたのだろうか。