サンパウロで2週間過ごし、今は無事に〈リオデジャネイロ〉に着いている。
リオと言えばビーチということで“イパネマビーチ”近くのホステルに泊っているが、ここは一人旅の人間には似合わない気がする。ここはリゾート地なのだ。かすかに海の香りがして、ここに来ている旅行者はブラジル人を含めて、家族連れや若者たちカップルが多い。
サンパウロのリベルダージの生活が毎日楽しくてたくさん笑っていた分、今は孤独を感じている。また一人になったのだ。
“リオデジャネイロ”と聞いて思い浮かぶのは、リオのカーニバルであるが、カーニバルは2月に開催されるため関係ない。リオと言えば、“スラム”とか“犯罪”とか負の面ではないだろうか。
『シティ・オブ・ゴッド』という映画を日本で観たが、あれはリオのスラムを描いた作品だった。映画の中で、子供達が当たり前のように銃を持ち、当り前のように人を殺していた。さらに昔テレビで観たことがあるのは、リオのビーチに少年たちがバスで乗り付け、ビーチに居た観光客に集団で襲い掛かり、略奪するという衝撃映像を見たことがある。
それでも私は南米の旅を決めたときから、ブラジルに行くことは決めていた。だから日本を旅立つ前、黄熱病の予防接種を受けてきた。旅を始めたばかりのニューヨークでブラジル人旅行者と話すことがあったが、さっきのような話は、“あながちウソではない…”と言っていた。
サンパウロを昼に出発したため、リオには夜着いてしまった。
知らない街に夜中に到着するというのは、途方もなく不安に駆られるものである。しかも“リオデジャネイロ”である。リオの夜は暑くて、海が近く湿気があるためか空気がねっとりしている。私は荷物をひったくられないよう大事に抱え、出来るだけ平静を装いターミナルの外に出る。少し汗をかいている。観光案内所でホステルの予約を取った後、係員は暢気にイパネマビーチまで路線バスで行けという。タクシーで行くことも出来たが、私は路線バスで行くことを決断しバスに乗り込んだ。
乗客は私一人だった。白いシャツを着た切符切りの黒人の少年に行き先を告げると、“まかせてくれ!”と言わんばかりに二カッと笑いながら親指を立てた。こいつに全てをゆだねるには、あまりにも心細い。バスはやがて“ファベイロ=スラム”と分かるエリアを通り抜けていった。辺りには街灯がなくなり薄暗く、朽ちた住居が見えた。サンパウロでは見たことがなかった景色だった。そこを過ぎると次第に乗客が増えてきた。やがてバスは海岸沿いの幹線道路をものすごいスピードで走り出す。
“犯罪都市”を思わせるリオの夜を、バスは全速力で突っ走っている。私は激しく興奮した。
海岸沿いは都会だった。とんでもない無法地帯を想像していたが、ビーチ沿いは夜でも人が歩いていて安心した。結局よく分からない場所で降ろされて、だいぶ歩いてホステルに辿り着いた。ホステルのこの辺りは繁華街で安全そうだった。
次の日の朝から、イパネマビーチへ向かった。
せっかくだから短パンとサンダルを履いて、ビーチでゆっくり過ごそうと思った。ニューヨーク以来の大西洋だった。
午前中からビーチで寝転んで、強烈な日差しを全身で浴びている。ビーチを歩く“イパネマの娘”たちの大胆で惜しげもない水着姿を眺めて、あいかわらずビールを飲んでいる。こうなると、彼女たちを成長させるブラジルの太陽の恵みに感謝するしかない。正午過ぎには宿に戻りシャワーを浴びながら、まだ目に焼き付いているブラジルの娘たちを思い出している。午後はリオデジャネイロ出身の女性歌手〈エルザ・ゾアレス〉を聴きながら、世界地図を広げて眺めている。
次はどこに向かうべきか考える。旅をしていて、一番優雅で贅沢なひとときだ。
とても幸せな時間を過ごしている。こんな幸せってあるだろうか。
イパネマビーチはやはり美しい。彼女たちがビーチを引き立てている。
http://www.youtube.com/watch?v=_nTJ4OzcqDg