São Paulo

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# by francis-sp | 2009-02-01 18:44 | A day in the life

Paulista

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サンパウロで楽しく過ごしている。

同室に住んでいるマルコスやサンパウロで格闘技を教えている日本人のおかげで、この街で楽しくやっている。予定ではサンパウロは3日くらい滞在して、リオにでも向かおうと思っていた。しかしサンパウロでの刺激的な毎日が、一週間そして二週間と、私の腰を重くさせていた。この宿の女主人のナミさんに、「サンパウロが気に入ったのでしばらく居させて下さい」とお願いをした。

このサンパウロで何か目新しい出来事があったわけではない。この街や〈パウリスタ=サンパウロに住む人々の愛称〉にとって当り前の日常や風景が、日本から来た私にはとても新鮮だった。

たいがい朝起きたらシャワーを浴びて、スーパーで買ってきた果物を食べる。宿の住人に会うと「bom dia(おはよう)!」と挨拶したり、くだけた感じに「tudobem(調子どう)?」と声をかけている。ポルトガル語も少しずつ覚えてきた。言葉というのは不思議で、スペイン語圏にたった1ヶ月居ただけで、ついついスペイン語を発してしまう。でもポルトガル語もスペイン語も似ているし、私には同じラテン語ということで意味が通じれば何でも良かった。

ナミさんに「ここに居ればポルトガル語をすぐに覚えられるわよ」と言われたが、その通りだった。英語とポルトガル語の小さな辞書をいつも持ち歩き、必要なときはすぐに調べて単語一つでも話すようにしていた。英語ではなくその国の言葉を覚えて旅をすることが、とても楽しくて新鮮だった。

毎日のように〈Liberdade=リベルダージ〉という、この東洋人街をぶらつく。
いつものネットカフェに行きメールをチェックしたり、ヨーロッパへ飛ぶための航空券を探している。南半球は冬でこのサンパウロも夜になると寒い。次は北半球のヨーロッパへ行きたかった。同室のマルコスはブラジル北部のバイーア州の生まれで“バイアーノ”という愛称で呼ばれている。サンパウロのバスターミナルで働いていて、毎朝5時に仕事に出向き、夕方帰ってくると大学に通っている。彼は日本語に興味を持っていて、お互い言葉を教えあったりした。

昼には〈Lancheseria〉と呼ばれる小さな食堂で、豆を煮たブラジル料理“フェイジョン”を食べる。これはいつ食べても美味しいし、毎日のように食べている。食堂には“アバズレ”というあだ名の男が働いていていて、彼と会うたびに握手をしている。彼は酔っ払った勢いでこの辺りで有名なおばさんのケツの穴にビール瓶を突っ込んで、ピースサインで写真を撮ったという曰くつきの男だ。

“この店の通りの向こう側には決して行くな…”と宿の住人のビゴージが言っていた。その先には〈ファベイロ=スラム〉があるからだ。彼はサンパウロ出身のパウリスタで髭をたくわえた初老の男性だ。彼が作るフェイジョンはブラジルで食べた中で一番旨かった。ビゴージはその昔刑務所に入っていて6年間調理係をやらされていたから料理が上手いんだという噂だ。昔セックスのとき、相手の女が“私の顔を叩いて!”と言ったから思い切りぶん殴ったら、口から血が出て血だらけになったんだと、笑いながら話してくれた。

街には“Bom Plate!”という政府が設立した食堂があり、1real=0.5ドルで“フェイジョン”を食べられる。街の貧困者を救済するための食堂であり、たとえ乞食であろうと“1real”を誰かに恵んでもらえば食べ物に在り付くことが出来るのだ。私も“Bom Plate!”を何度か利用したが、そこに食べに来ている利用者は、この街からかき集められた多様性に溢れる人間たちだった。もちろん普通の利用者も食べに来ているが、ときには顔中にタトゥーが入った男や、ぶつぶつ独り言を言っている男、ゲイとテーブルを並べることもあった。

宿の近くには〈日本移民資料館〉があり、水曜日には日本の映画が上映されている。来年はブラジル移民100周年だそうだ。この資料館は行ってみたいと思っていたが、サンパウロを発つまでついに足を運ぶことはなかった。旅をしている身でも、いつでも行けると思っているとなかなか行かないものだ。ブラジルでは日系人は“ニッケイ”と呼ばれ信頼されている。よく分からないが真面目に一生懸命に働く日本人は、きっとブラジルの経済と発展を支えてきたのだろう。

宿のテレビでサッカーの中継を見ていると、〈サントス〉というサッカーチームに“ロドリゴ・タバタ”という日系人選手が活躍しているとマルコスが教えてくれた。やっぱりブラジル人はサッカーが好きだ。“ジーコは神でマラドーナはクソだ”と住人のデイビットが言っていた。

英語を話せるデイビットやアンドレとはよく酒を飲んだ。ビールとカイピリーニャを買い込んでは、次の日二日酔いになるまで飲んだ。誰が言ったのかは知らないが、二日酔いはビール6本とテキーラ3本を飲めば治ると言われている。そうすれば二日酔いであることを忘れる。

リベルダージには日系人のための各県人会がある。ついこの間どこかの県人会が強盗に襲われたという。家財道具を全て持って行かれたが、人命は大事に至らなかったらしい。後に犯人は捕まったが、犯人が警察に賄賂を渡したことでこの事件は解決された。サンパウロは危険な街であることは間違いない。数年前宿の近くで東洋人が少年グループ15人に襲われた。夕方になれば短いスカートを履いた娼婦が街角に立っている。人間はどんなことをしてでも、強く生きていける。

この宿には日系人も住んでいて、彼らは何十年も前にブラジルの地に移り住み、今では“ルイス”や“マリオ”などと名を変えてブラジル人として暮らしている。その中のミルトンさんは近くの旅行代理店に勤めているがアル中である。あるとき〈Lancheseria〉で飲んでいて泥酔しゲロをぶちまけて、その店は出入り禁止になったらしい。カルロスさんが“サンパウロに来たからには〈ボアッチ〉に行ったらいい”とポルトガル語で笑いながら言っていた。ボアッチとは売春目的の男女が利用するナイトクラブである。

夜のサンパウロを知るために〈LOVE STORY〉というディスコに遊びに行ったが、トランスで踊り狂うブラジル人はバッキバキだった。クラブの外ではドラッグの売人とゴミを漁る乞食が当り前のようにいた。ボアッチが掃ける明け方5時頃になると娼婦たちが踊りに来て、全てがピークになった。朝になりクラブも掃けて外でたむろっていると、女たちが“ホテルに行かない?”と声を掛けてきた。男か女か判別できず尋ねてみると“何言ってるの?100%オンナよ!”と言って女は路上で自分の胸をさらけ出し、私の股間をまさぐってきた。全くクレイジーである。ふらふらになりながらリベルダージに帰った。

この街に住む人間は、物語が書けそうなくらい面白い人生を生きている。パウリスタ一人ひとりがサンパウロという大きな舞台で演じているように見えた。4月のニューヨークでも同じようなことを思った。だけどニューヨークと違うのは、サンパウロでは人間の一人ひとりが“主役”を本能のままに自分らしく演じているということだった。ニューヨークの人間のように、主役を奪い合ったりはしない。みんなが主役で自分の意思に従って自由に生きている。

私はサンバを踊れない。私が1つステップを踏もうとすると彼らは4つステップを踏んでいる。その足さばきは見とれてしまうほど美しい。クレイジーな夜に地元の人間しか集まらない小さなバーで聞いたサンバのメロディーが頭に残っている。汗を流しながら絡み合うように踊る男と女は、まるで動物のようだった。

サンパウロが私に教えてくれたこと。

上手く踊れないことは恥ずかしいことではない。自分が出来る踊りを踊ればいい。言葉を上手く話せなくてもいい。恥ずかしがることはない。話せる言葉を並べて話してみればいい。そうすればきっと伝わる。上手く歩けなくてもいい。自分の歩き方で人生を歩んでいけばいい。
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# by francis-sp | 2009-02-01 17:57 | A day in the life

Liberdade, São Paulo

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こうしてまた安宿に泊まることになり、静かに夜を迎えている。

サンパウロは大都市だった。サンパウロの東洋人街で宿を探そうとメトロに乗り〈Liberdade=リベルダージ〉という駅で降りて、右往左往しながら日系人が経営している“ペンション・ナミ”という宿に辿り着いた。深夜のバス移動が続いていたため、ベッドにありつくと死んだように眠った。

経営者のナミさんは初老の女性で日系ブラジル人だった。ポルトガル語はペラペラだったが、日本語は忘れてしまったのか流暢ではなかった。この宿を利用しているのはほとんどが“ブラジル人”らしくて、日系ブラジル人も何人か居る。みんな仕事を持ち、このペンションで普通に生活している。日本国籍を持つ者は、同じ部屋のサンパウロで働いている日本人男性と、唯一の旅行者である私だけだった。共通語はポルトガル語であり、ここに2週間定住することでポルトガル語を少し覚えることが出来たし、サンパウロの魅力を知ることが出来た。

〈Liberdade〉という東洋人街は、かつて日本人が多く暮らしていた地域だったらしいが、今は韓国人・中国人も多く暮らしている。〈Liberdade〉を歩くと、東洋人が経営する店や看板が目に着いて、独特の雰囲気を感じる。タイのバンコクやベトナムのサイゴンにあるような中華街に似た雰囲気だ。この宿が一瞬、アジアのどこかの安宿のような気にさせられる。

しかしサンパウロの持つ雰囲気は、それとは明らかに違うものだった。

決定的に違うのは、私と同じ日本人がかつて移民としてサンパウロに住み着き、今は日系ブラジル人として暮らしているということだ。彼らが異国の地で重ねてきた長年の労苦が、彼らが放つアジア人としての匂いが、母国の言葉をいつの間にか忘れてしまった彼らのポルトガル語が、この独特の空気を作っているのかもしれない。

私はニューヨークやサンチャゴ以来の都市に放り込まれた感覚で、言葉もよく分からなくて、この街にはまだ馴染めていない。そんな今の私と同じような気持ちで、当時ブラジルに移住してきた日本人がたくさん居たのかもしれない。

この宿でも“ルイス”や“カルロス”といった名前の日系ブラジル人が生活している。2008年は日系移民100周年にあたるというが、彼らもまた数十年前にブラジルの地に渡って来たのだろう。かつて日本人であったが今は国籍をブラジルに変えて、名前もラテン人のように変えて、言葉はポルトガル語を話している。そんな彼らは日本人ではなく、“ブラジル人”だった。

そもそも“ブラジル人”って何だろうか。

人種は白人、黒人、黄色人に大きく分けられるが、街を歩いている人々やメトロに乗っている人々を眺めてみても正確な分類は出来ない。サンパウロにはイタリアやドイツの移民、中東やイスラエル人も多く暮らしているという。今ではたくさんの人種がMIXされていて厳密に分けるのは無理だし、そうすることに意味が無い。サッカーのブラジル代表がそうだろう。個性的な顔立ちをしたメンバーが揃っている。皆それぞれ違っていて雑多なのだ。私も街を歩けば、おばちゃんに道を尋ねられたり、スーパーに行けば“その棚にある物を取ってちょうだい”と言われることがあった。それは人種とか国籍とか関係なく、たまたま“私”がそこに居合わせたからだ。

彼らをまとめられる唯一の言葉が、“ブラジル”なのだ。

アメリカは人種を分けて考えようとしたり、英語を話すことを当り前として強いているように感じる。しかしブラジルはそうではない。人それぞれの違いを初めから認めていて、人は違っていて当たり前という考え方だ。

貧しい人々も娼婦も乞食も、街を歩けば自然と目にする。昼間は安全だった場所が夜は人っ子一人歩かない危険な場所になる。路上に倒れている人が居ても、人々は驚く様子もなく通り過ぎていく。聞いた話だと、サンパウロでは“50real=25ドル”で人殺しを頼めるとの噂だ。ブラジルでは人の命は安いものだ。〈ファベイロ〉と呼ばれるスラムでは、拳銃のレンタルがあるらしい。子供たちが拳銃を借りて強盗をし終えたら、また返すのだという。サンパウロに滞在中、色んな興味深いエピソードを聞いた。

サンパウロに2週間居て思ったのは、サンパウロは全てを包み隠さず、在りのままをさらけ出し、そして全てを受け入れてくれる街のように思えた。日本人である私には、それはどこか人間らしく本来あるべき姿で、魅力的なことだと思った。この国は日本のように影の部分を隠そうとしたりしない。在りのままをさらけ出している。

日系ブラジル人に“日本とブラジルの違いって何ですか?”と尋ねた。その男性は少し考えてから“ブラジルには夢がある”とニコニコしながら答えてくれた。その答えは明快な答えで、私が期待していた以上の気持ちの良い答えだった。数十年前に日本からブラジルに渡ったかつての移民たちも、きっと苦労を重ねながらも同じようなことを考えたのではないかと、私は今でも思っている。
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# by francis-sp | 2009-01-04 00:21 | A day in the life

Foz do Iguacu

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# by francis-sp | 2009-01-03 18:42 | A day in the life

"Hello, Goodbye"

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ブラジルに入って景色が変った。
南米大陸の約半分を占めるブラジル。ブラジルはこれまで旅してきたペルーやチリ、アルゼンチンとは違う風景を見せてくれた。バスで移動し窓の外を眺めていると、木が多くなり緑が増えてきた。さながら日本に近い風景である。トウモロコシ畑が続き、走っている車も新しいものが多い。そこにどこか“豊かさ”を感じる。そのためか人々に元気がある。活力ではない、どこかに明るさがあるのだ。

これまでの南米の旅は、寒くて凍えそうな荒涼とした大地をバスでひた走る旅であったが、ブラジルに入ってどこか安心感がある。この先のサンパウロで聞いた話だが、おもしろいことにブラジルに住み着いたかつての移民たちは、本国と同緯度のところに暮らす傾向があるという。日系人はサンパウロに住んでいるし、ドイツ人などのヨーロッパ人は南部、黒人はブラジル北部に多い。確かに〈ポルト・アレグレ〉は白人が多かった気がする。

“イグアスの滝”を観るために〈Foz do Iguacu〉という町に来た。〈Rodoviaria=バスターミナル〉のツーリスト・インフォメーションで地図を貰い、ユースホステルを紹介してもらった。路線バスに乗り無事にユースにたどり着いた。そこで韓国人旅行者の“ワニ”と出会った。

ワニは私より若くて年齢は20代前半だった。韓国では男性に2年間の兵役が課せられていて、彼はブラジルの旅行を終えたら本国で兵役に就くという。彼にとって兵役前の最後の旅行だった。イグアスの滝を観たらサンパウロに居る姉夫婦のところへ向かう。彼は英語はほとんど出来なかったが、私と少しの時間を共にした。一緒に観光したり食事をしたり、お互いの国の言葉を教えあったりして楽しく過ごした。

このような韓国人旅行者は、旅の先々でも多く出会った。それはトルコであったり東欧であったりインドであったりした。日本人と同じように、韓国人旅行者も世界を自由に旅している。男性旅行者と話していると、だいたい兵役の話題になった。尋ねてみると、2年間の兵役を終え社会復帰する前に、しばらく自由に旅をしているという者が多かった。

イスラエルも若者達に兵役を課す国である。〈イズラエリー=イスラエル人〉とは、インドのゴアで一緒に過ごすことがあった。男性は3年間の兵役があり、女性も2年間兵役があると言っていた。銃を携えたイスラエルの女性兵士の映像をテレビで見たことがある。パレスチナへの攻撃を繰り返しているイスラエルの民である彼らは、アラブ諸国を自由に旅することが出来ない。イスラム国家のイスラエルへの憎悪は、旅をしていて感じることが幾度となくあった。兵役を終えた彼らも自由に世界を旅している。

“Armyに行くのはイヤだ”、とワニは言っていた。

兵役を終えた彼らに一貫しているのは“逞しさ”だと思う。それは体格が良かったりだとか精悍な顔つきをしているとか、そんな見掛けのことではなかった。少しのことでは決して怯まない“強さ”を彼らは持っているのだ。それらは自然と滲み出てくるもので、日本人の私達には持ち合わせないものだった。

“イグアスの滝”を観光した夜、ユースホステルの庭でオーストリア人旅行者と食事をして、ギターとサックスでセッションしたりして楽しく過ごした。ブラジルに入りだんだん温かくなり、過ごしやすくなってきている。サックスを吹いている“セップ氏”はオーストリアの雪山で催される〈Snow Jazz Festival〉のオーガナイザーだった。そんな人とセッションが出来て幸せだった。

人それぞれ様々な事情を抱えて旅している。私は彼らがなぜ旅をしているのか知らないし、彼らも私がどんな理由で旅をしているのかを知らない。しかし偶然にも南米のこんなところで巡り合っている。この先、再会することはないだろう。でもそれが旅で、それぞれ明日にはまた違う土地に向かわなければならない。行った先々でまた新しい出会いが待っている。旅が終わり自国に帰るまで、懐かしく過去を振り返る余裕はないのだ。

次の行き先、ブラジルの首都サンパウロでも素晴らしい出会いがあった。
ありきたりの言葉だけど、旅とは出会いと別れの繰り返しなのかもしれない。
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# by francis-sp | 2009-01-03 18:33 | A day in the life

DESTINO PORTO ALEGRE

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南米で最大の国、ブラジルの南部〈ポルト・アレグレ〉という街に来た。

ブラジルへの入国はスムーズで、夜行バスで私たち乗客が寝ている間にバスのドライバーが入国手続きをしてくれたようだ。朝、目覚めてみると、いつの間にかバスは悠々とブラジルの大地を走っていた。

モンテビデオのブラジル領事館で“1800ウルグアイ・ペソ(日本円でおよそ¥8000)”を支払い、30日間ブラジルを旅行できる権利〈ツーリスト・ビザ〉を得た。そしてブラジルを必ず出国するという証明のために、クレジットカードとバスの“Around Ticket(往復チケット)”の提示も求められた。

私はブラジルからヨーロッパのスペインへ渡るつもりだった。だからウルグアイに戻ってくるつもりはないし、ブラジルでスペイン行きの航空券を買うつもりだった。〈モンテビデオ⇔ポルト・アレグレ〉間の往復チケットは、私にとっては何の意味のない、ただブラジルに入国するためのただの一枚の紙切だった。復路分のチケットは、いずれ捨ててしまうだろう。

ブラジルに入り言語がスペイン語からポルトガル語に変わった。バスの乗客もどことなく明るい印象を受ける。風景も気候もウルグアイとはそう変わらないが、褐色の肌をしている人間が増えて人種が混ざり合っているようだった。そして貧しい人も見受けられる。

〈ポルト・アレグレ〉は“陽気な港”という意味で、サッカーのロナウジーニョもこの街の出身だと後になって知った。ポルトガル語はスペイン語と明らかな違いがある。スペイン語圏を約一ヶ月旅をしてきて、少しばかりスペイン語を覚えて使ってきたが、初めて聞くポルトガル語はまるでフランス語のようなアクセントに聞こえた。ブエノス・アイレスで出会ったフランス人のラーラが、“スペイン語よりポルトガル語の方が分かりやすいわよ”と言っていたのを思い出した。

“また新しい国にやってきた…”、ポルト・アレグレに着いてタクシーに乗り込み、運転手と話したとき思った。そして一からポルトガル語を覚えようと思った。この街で私がまずしたことは、〈livro=本屋〉を探して英語・ポルトガル語の辞書を買うことだった。

しかし、スペイン語を覚えたことは無駄ではなかった。
“where”→“donde”→“onde”であったり、“ビール”→“セルベッサ”→“セルベージャ”だったりして、スペイン語から多少変化したものがポルトガル語だった。スペイン語もポルトガル語も私にとってはそう大して変わらないものだったし、スペイン語圏に近いこの街は、まだまだ何とかスペイン語が通じたのだ。

ホテル近くの小さな商店でアボガドを買った。お店のおじさんは“もう傷んでいるから…”とサービスをしてくれた。アボガドを日本の“醤油”を付けて食べた。旨かった。この街はまだまだ寒い。早くサンパウロとかリオとか、ブラジルらしい熱い街に行きたいと思った。サンパウロには東洋人街がある。久しぶりの日本食に在りつくのが楽しみだった。

ホテルの部屋でポルトガル語の勉強をしていると、“carta=カルタ”という単語が目に着いてハッとした。カルタはポルトガル語で手紙という意味だが、日本の“かるた”もきっとその昔にポルトガルから伝来された外来語だろう。そう気づいた瞬間、ポルトガル語がとても身近に思えた。決して遠い国の言葉ではないのだ。

明日はバスで13時間かけて〈Foz do Iguacu〉へ向かう。ここではユネスコ世界遺産である“イグアスの滝”が観られる。ここまで来て行かない手はないだろう。南米で最後に旅したブラジル。この国で一ヶ月過ごして、私はヨーロッパへ飛ぶことになる。

ブラジルが大好きになる旅の始まりだった。
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# by francis-sp | 2008-12-29 23:11 | A day in the life

Montevideo, Uruguay

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ウルグアイの首都〈モンテビデオ〉に来ている。

“ウルグアイ”、この国に対してどんなイメージを持つだろうか。私はこの国のサッカーが強いということくらいしか知らない。南米大陸の地図を見てもアルゼンチンとブラジルの大国に挟まれてあまり存在感がない。多くの日本人が“ウルグアイ”について話すことは一生に一度あるかないかであろう。

アルゼンチンのブエノスアイレスを去りウルグアイにやって来た理由は、ブラジルの〈ビザ〉を取得するためだ。ブラジルは南米大陸で唯一、ビザが必要な国だ。ブラジルには必ず行きたいと思っていて、入国審査でイエローカードの提示を求められる場合もあるらしく、日本であらかじめ〈黄熱〉の予防接種をしてきた。

しかし足止めを喰らっている。今日は日曜日だったのだ。ブラジル領事館は休みで、この小さなモンテビデオの町も安息日ということで徹底的に休んでいる。だからこうして海沿いを散歩して海を眺めたり、釣りをしている人々と挨拶をしたり、草サッカーをしている若者と話したりして過ごしている。聞くと隣国パラグアイからチームを呼んで試合をしているという。南米では国際試合が少しも珍しくない環境なのだろうか。

同じユースに泊っているドイツ人のパトリックが、年代物のベンツ車が町を行きかっているのを見て驚いていた。先進国では忘れ去られたクラシック・カーがウルグアイでは現役で頑張っている。彼は自分がベジタリアンだと言っていた。ヒップホップが好きでコネクションを作るために南米を旅しているらしかった。港に積まれたコンテナがドイツ行きだと知って嬉しそうにしていた。

この町は特別に観るものはなくて、半日あれば町を歩いて回れてしまう。
だけどこうして日がな一日、特に何をする訳でもなく、天気も良いので散歩して過ごすのも悪くない。モンテビデオは首都であるが、どこかのんびりした印象を受けた。

ブラジルの旅の準備もしなければいけない。ブラジルのガイドの類を私は持っていなかった。ブラジル人旅行者に頼んでブラジルの地図をノートに描いてもらって、それに主要な都市を書き入れてもらった。それを見ながら“サルバドール”、“トランコーゾ”、“アパレシーダ”、“イグアス”、“パンタナール”など私が気になっている土地の位置関係を教えてもらった。これで一先ず、バスのチケットを買う目安になるだろう。また行った先々で新しい情報を集めればいい。

わずかではあるがその国の言葉を覚えて、自分で旅を作り上げていく。それは時間が掛かるし手間も掛かるが、その楽しさにあらためて気づきはじめた。

ユースにはバングラデシュの5人の男たちも寝泊りしていた。自国の衣服に身をまとい、自分たちで食事を作っていた。彼らから旅行者に話しかけることはなく、その姿はどこか“異質”な存在だった。私が屋上でウィスキーを飲んでいると彼らの一人と出くわして仲良くなれた。ビジネスで40日間もモンテビデオにいるという。彼らはイスラム教徒であるが、酒もタバコも“外国だからノープロブレム”という理由で好きにやっていた。自分の国だったら逮捕されると言っていた。

聞くとやはり一日5回、〈メッカ〉に向かって祈りを捧げるという。何を祈っているのか尋ねると、イスラム教徒だけではなく世界中の人々の平和と幸せを祈っていると、一人の年長者が言っていた。どの国のどんな民族でも、どんな宗教でも、人間の願いはただ一つであり、それはずっと変わらない。今夜9時に最後の祈りをするというので、“祈るところを見せて下さい”とお願いすると快く応じてくれた。

彼らは二段ベッドにそれぞれ祈り用の布をひいて、時間きっかりに祈りを始めた。立位で手を広げ祈りを唱え、ひざまずいたり、額が床に着くほど頭を下げたり、、はじめて見るイスラム教の祈りは静かで、心が洗われていくようだった。私は5人の祈りを静かに眺めていた。“サラーム・アライクム”、彼らからイスラムの挨拶を教わった。

その後、彼らは夕食に誘ってくれた。チキンとジャガイモとライスのシンプルなもので、彼らを倣って右手で食べた。異国に来ても、自分たちにとって大切なものはいつでもどこでも普遍的であり、それを変えようと思うことがないのだろう。そのようなものを持っていることは、とても素晴らしいことだと思った。

この旅では、モロッコ、トルコ、シリア、イランとイスラム教の国を廻ることがあった。これらの国々でも私はあらゆる土地でイスラム教の人々の親切を受けることになった。彼らには旅人や困った人を助けて当たり前という〈ホスピタリティー〉の精神がある。言葉も何もかもが通じない国を旅できたのは、その恩恵を受けられたからだと私は思っている。そして彼らと同じように、私もそのような精神を持つことが出来たら、どんなに心が豊かでいられるだろうと思った。

モンテビデオでの彼らとの出会いは、そんな出会いの始まりだった。
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# by francis-sp | 2008-12-21 10:00 | A day in the life

Patagonia

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# by francis-sp | 2008-11-16 16:32 | A day in the life

Puerto Natales

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プンタ・アレーナスからプエルト・ナターレスへ。ここは正真正銘の〈パタゴニア〉の町だ。
昨日はパタゴニアのツアーに参加し、完璧すぎる自然を見て廻った。

そして今日はこの町で何をする訳でもなく、ぶらぶらしながら過ごしている。本当は今日中にチリのお隣の国アルゼンチンに入国し、〈カラファテ〉という町に向かいたかった。カラファテもまたパタゴニアのツアーの拠点となる町で、氷河を見ることが出来るらしい。
しかし足止めをくらっている。今日は日曜日なのだ。日曜日だと人々や商店は徹底的に休み、それはバス会社も例外ではなかった。だからこうして散歩をして過ごしている。

町はとても静かで外を歩いている人間はほとんど居ない。もともとこの町はパタゴニアの観光資源で成り立っている町だし、冬が間近のパタゴニアはシーズンオフだった。昨日のツアーにしても、何とか町の観光客をかき集めて決行できたようだし、この町の観光客をかき集めても一つのホテルで収まるんじゃないかと、港を歩きながら思う。

それにしても、この港もまた美しい。
私のような暇な観光客が、ぽつり歩いている。

パタゴニアの自然は厳しいがとても美しい。人間は想像以上の美しい自然に圧倒されると、声を出して笑うのかもしれない。気味が悪いが昨日の私はそうだった。完璧すぎて笑ってしまうのだ。

バスに乗って旅をしていると、道端にぽつりと立てられたキリストやマリアの像を見かけることがある。これまで廻った南米の国々でもよく見かけた。このパタゴニアの景色の中では、それはあまりにも異質で無力に近いように思えた。ここに取り残されたとして例え一晩中祈ったとしても、ここで生き延びることは奇跡に近いように思えるからだ。この土地で生きる術を私は知らない。ただ生きている実感はバスのエンジンの振動と今自分が生きていることだったりする。突如として町が広けてきて、町の灯りが見え始めて私は安心するのだ。

宿の白髪のご主人は、孫を抱きあげてキスをしている。子供がぐずると今度は息子さんが抱き上げてあやしている。それを見ていると、どこか心を温かくさせてくれる。
幸せな家族の姿は、どこの国や土地に行っても変わらない。厳しい冬がすぐそこまで来ていて、厳しい土地で生活している人々であるからこそ、神を信じるのだろうかと思った。

そんな町がこのプエルト・ナターレスだった。

雪を被った山々が連なり、大きな湖がある。その麓にある町。港町であるが港町特有の寂しさや錆びれた感じはない。どこか安定感があり、人々に強さがある。見るところなんてない町。だけど、どこか暖かくて素敵な町だった。
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# by francis-sp | 2008-11-16 16:11 | A day in the life

Patagonia

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# by francis-sp | 2008-11-16 13:45 | A day in the life


音楽、旅、本、サッカー、日常などをテーマにfrancisが気ままテキトーに語っています。本でも読むような感じで、ゆっくり見てくれたら嬉しいです。


by francis-sp

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