カテゴリ:旅( 36 )

fotos francis

フォトログというものを始めました→fotos francis

旅の写真を載せています。
少しずつアップしていこうと思いますので、よろしければ眺めてみてください。

旅が終わってまだ間もないですが、頭の中がすっかり切り換わってしまい、最近は就活を始めたり履歴書を書いたりしています。

この履歴書(職務経歴書)というのが結構面白い。
これまで自分が何をしてきたのかを確認できるし、自分がこれから何が出来るのかも確認できるし、自分という人間を見直すことができる。
だからこれもいい機会だなと思ったりしています。せっかくだから就活を楽しもう。

旅の写真と旅の間に綴った日記帳をもとにして、旅のブログも書いていきたいけど、ややエネルギーと時間も掛かるので、気が向いたら書いていこうと思います。

それでは今後もfotos francisともに、一つよろしくお願いします。
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by francis-sp | 2007-11-28 00:01 |

Jamming

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南インドは、バンガロールやマイソール、ビジャプール、ゴアに近いパナジ、ケララ州もとてもいいところらしい。北に行けばジャンムー・カシミールやラダック地方、ラジャスタン州もまたいいらしい。プリーやリシケシュも話しを聞くと魅力的だ。

出会ったインド人や旅行者と話していると、いろいろな場所へ行きたくなる。インドをがっつり周るには一年は必要だという。そうなってくると旅がなかなか止められなくなり、困ったヒトになってしまう。インドはそれくらい魅力的で大きな国だ。

“ゴアにはもう行ったのか?”
インドに来てからよく尋ねられた。それもインド人によく。ゴアの海はとても美しい、だから絶対行くべきだと。

かつてヒッピーの聖地と呼ばれていたゴア。しかし今は、“ゴアは終わった”というのが定説だ。私はもともとゴアに行く気はなかった。それはゴアは多くのツーリストが集まるし、そういうところはあまり好きではないからだ。
“静かで小さい町を周るのが好きなんだよね”、アウランガバードで泊っていた宿の主人にそう言うと、“だったらゴアより数十キロ南にあるゴカルナへ行けばいい”、“静かで人が少ないきれいなビーチがあるよ”、そう言ってくれた。

ではゴアにでも行ってみようか。

そんないきさつでゴアに来てみると、そこには期待を裏切らないものがあった。

私が滞在したビーチには、青い空と海、爽やかな風、太陽と緑ときれいな空気があった。夜は満月と虫が放つ光が見えて、自然が奏でる音があった。

ビーチに寝そべりそれを全身で浴びていると、すべてが洗われていくようで、とても気持ちが良かった。そんな場所を求めて旅行者が集まってくるから、ビーチにはゆっくりとした時間が流れている。心地よいピースな時間が流れている。

海を眺めて食べる食事もまた格別だった。自然の恵みに感謝して、今こうして旅していられることに感謝しながら、ゆっくり食事を楽しんだ。
アジア圏に来てから、私は多くを求めなくなった。トルコ、シリアで始まったラマザンで食事の量は減ったし、イランに入ってから酒は飲まなくなった。インドでは必然的に野菜中心の食事を摂るようになった。そうなってくると体の調子はいいし、過去10年間で一番健康的な生活をしているんじゃないかと思えてくる。いい感じだ。

一日中ビーチで無邪気に遊んでいる彼らを眺めていると、“俺たちはいつまでたっても子供だ”、そう思えてくる。そうなのだ。私たちは自然に生かされている子供だ。ここに来てそのことを気付かされる。本来人間は、自然に囲まれて生きていくべきものだ。押しよせる波のように、自然の胎動と波長を合わせ、生きていくものだ。

自然に生かされていること。人間は大切なことを忘れてしまっている。

そんなことを考えながらビーチで日光浴をしていると、ぽつりぽつりと大きな荷物を背負った旅人がやって来る。とある者は、このビーチを名残惜しそうに離れていく。みんな一様に、波打ち際を歩いている。自然と笑顔で、“Hi!”とか、“Bye!”とか、声を掛け合う。

“Everything 's gonna be alright, everything 's gonna be alright”

どこからかボブの歌が聞こえて来た。

旅をしている人間は弱い存在かもしれない。波が彼らの付けた足跡を消してしまうように、いつ旅が終わるかもしれない危うい存在だ。それでも彼らは、自分の足で力強く歩いている。一歩一歩、少しずつ前へ向かって歩いている。

それは私たちには夢があるからだ。希望があるからだ。大きな心と自由な精神を持とうとしているからだ。だから旅することは美しい。旅は非日常かもしれないしただの遊びかもしれない。だけど旅は最高の遊びだ。

旅の目的や期間は人それぞれ違うし、旅のスタイルも人それぞれだ。みんな自分の国の事情を抱えて旅をしている。そうやってみんな旅をしている。しかし私たちにはそれに縛られない自由さを持っている。だから自分らしい旅を楽しめばいい。

夕方、太陽が沈む頃に入る海もまた、きれいで気持ちがよかった。

ゴアはそういうことを教えてくれた。
そういう意味でゴアは多くの旅人を魅了して止まない土地なのかもしれない。私もそんな旅を愛する一人であれたこと、旅という夢を叶えられたことを、少しばかり誇りに思いたいと思う。

“旅をして本当に良かったと思っている”

この言葉が、この旅の最後を締めくくれる唯一の言葉だ。
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by francis-sp | 2007-10-31 15:56 |

shanti shanti

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またシャワーを浴びているときに停電した。
このゲストハウスに泊まってからこれで3度目だ。

私がこの町に来てから、時折にわか雨が振るようになった。雨が降ると発電所が水漏れして町全体が停電するのだと宿の主人が言っていた。

このハンピという町は、ゆっくり過ごすには丁度いい。車やリキシャは入って来れないから騒音は無いし、町は小さいから喧騒から逃れられる。夜は虫の鳴く声を聞きながら静かに眠れる。長期滞在するにはもってこいの町だ。

私は昼前にもぞもぞ起きだして、歯を磨きシャワーを浴びる。朝から働く女性たちの声や洗濯物を地面に叩き付ける音で目覚めるのだ。ベッドの上で体をゆっくりほぐすとすっきりする。そのまま屋上のテラスにいって、チャイを注文する。コップ一杯に注がれたチャイに砂糖を4杯きっちり入れてそれが溶けるのをゆっくり待つ。

このテラスからの眺めはいい。
この町が巨大な岩が積み重なるようにできた山に囲まれていることが分かるし、メインバザールの方には高くそびえるヒンドゥーの寺院が見える。反対側にはバナナの木が生い茂り、その林を抜けると大きな川がある。この町は本当に不思議な地形をしている。

ハイデラバードから夜行バスで12時間かけて来たが、そのバスも物すごいオンボロで凄まじい旅だった。真っ暗な夜を、両脇にバナナやココナッツの木が生い茂る道を、バスは全速力で突っ走るし、バスは常に激しく揺られ、時おり震度幾つかの立て揺れが襲う。道を横切る牛と何度かぶつかりそうになり、急ブレーキがかかる。
イランからインドへ渡って2週間経とうとしているが、インドの旅は何が起きてもこれがインドだと思って楽しむ気持ちを忘れてはいけない。そう思うようになってからまだ間もないが、インドの旅が楽しくなった。バスから眺める風景は南インドらしい緑あふれるものだったし、突如あらわれるきらびやかな電飾で飾られたヒンドゥーの寺院やそこから聞こえて来る音楽は、どこか官能的な世界だった。そして南インドは、人がとても穏やかで親切だ。

チャイを飲んでいると、子ども達の歌声が聞こえてくる。私はこの町がとても気に入っている。

この町で歩いて見て廻れるものは見てしまったし、まだまだ寺院はあるのだがわざわざ見に行くのも暑くて疲れてしまう。ボートで川の対岸へ渡れるらしいが、そうしたいとも思わない。

そんな町で過ごして5日目、特にすることも無いこの町でこうして過ごしてしまっている。
いや本当のことを言うと、こういう時間を過ごしたかったのだ。このハンピに来たのはそのためだった。半年の旅も終わりが近づき、こうして静かに旅の終わりと向き合おうとしている。何事も起こらないように、静かに一日が終わるのを待っているのだ。

こんな旅行者を見たことがある。まだ旅を始めたばかりのニューヨークのホステルでだ。彼はイギリス人で彼もまた半年の旅を終えて、自分の国へ帰るフライトの日をじっと待っているのだった。確かオーストラリアやニュージーランド、太平洋の島々、東南アジアを旅したと言っていた。“素晴らしい景色も見たし、たくさんいい人にも出会えた、いい旅だったよ”、ベッドに横になり天井を眺めたまま彼はそう言っていた。

いつか私もその時が来るのだと思っていたが、今その時が来てしまっている。

旅を終えようとして、旅は人生でも何でもない、そう思うようになった。
旅は日常の中の非日常だし、旅を人生として生きるのは私には出来ない。私には日本という国があってそこでしか生きられないからだ。私は旅という時間を送っているが、私がいない日本という時間も確実に存在している。もしそのことを忘れてしまったり無くしてしまったらアウトだ。日本には家族がいて大切な人がたくさんいる。だから私は旅を終えて日本で生きていきたいのだ。

しかし一方で、旅は人生ではなくても、人生は旅と似ているところがある。

旅をするのであれば幸せな旅でありたいし、楽しい旅をしたい。“何があってもインドだ”、と楽しむ気持ちを忘れてはいけないように、人生でも同じことが言えるかもしれない。人との出会いは貴重だし大切にしていきたい。旅をしていると困難もあるしアクシデントもある。良い日もあればそうでない日もある。それでもいつでも笑顔を忘れず元気で前向きに旅をしたいし、自分のペースで自分らしい旅が出来たら最高だ。
そして一番似ていると思うのは、何か新しいものを求めていくことだと思う。見たこともない、聞いたこともない、感じたこともない、何かを求めて旅をしていくことだ。

旅を人生とするような生き方に誰もが憧れる。私もそんな旅を一度してみたくて、旅にすべてを注ぎ込んだ。旅の途中で読んだ、『おくのほそ道』の松尾芭蕉もそうだった。彼もまた、そぞろ雲に憧れ長い旅をした。しかし旅はそれほど高貴なものでもないし、崇高なものでもないかもしれない。いつかは旅を終わらせて、日常に戻らなくてはいけない。旅は旅でただの遊びだ。日常の中の非日常なものだ。

そんな旅に半年もの時間を費やしてしまった。いやあえて費やしたのだ。
旅に出たのは旅でしかえられない何かがあるからだった。そしてこの旅でそれは十分過ぎるほどに得ることが出来た。上手く言葉では説明できないが、日本を離れてみて分かることや知ることがたくさんあった。そして日本へ帰ったら勉強したいことが山ほど増えた。

この旅は終わるが、また旅をしてみたい。インドに来てみてそう思うようになった。まだまだ行ったことのない場所にいってみたい。旅はまだ終わりそうもない。そう思っている。

イランの村で腹を壊しながら、28歳の誕生日を迎えてしまった。生涯忘れられない誕生日となった。人生が80年だとすると、人生という旅はまだ50年以上も時間がある。この先の人生は、旅と同じように多くの困難が待ち受けているし、何が起こるか分からない旅だ。とてもハードな旅だと思う。

今回の旅と同じように私はそれを乗り越えられるだろうか。幸せな旅が出来るだろうか。
願わくば、そんな旅をしてみたいと思っている。

明日はゴアへ向かう。小さなビーチで4、5日過ごしたらまたこのハンピに戻ってくる。そして最後の町、チェンナイへ夜行列車で向かおうと思っている。チケットも手配したし、あとは予定通り動くだけだ。

少々考えすぎてしまったかもしれない。旅はまだ1週間あってまだ終わっていない。旅の途中であれこれ考えすぎることは良くないことだ。滞在先で腰を落ち着けてしまうと、こういうことになるのだ。分かっている。そうなってしまったら、とにかく次の目的地へ向かうことだ。明日の列車の時間のこと、今晩泊まる宿のこと、飯のこと、旅をしているのならそんなことだけ気にしていればいい。そしていくら考えても、なるようにしかならないのだ。ではゴアのビーチでフルムーンを迎えて、リフレッシュでもしよう。

shanti、shanti、、旅はまだまだ続く。さあ、ゆっくり行こうではないか!!
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by francis-sp | 2007-10-23 19:00 |

トルコにて

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今はトルコの東、イランの国境に近い〈ドゥバヤズット〉という小さな町に来ています。

トルコの東側は、これまで居たイスタンブールやアンカラ、シャンルウルファとはまた異なる地形をしていて、ここは切り立った岩山がなだらかに続く山岳地帯で、その合間に平原があるという感じです。空気は乾いていますが標高が高いためかとても涼しく、空が青くてとてもきれいです。平原には、豊かではありませんが牧草が生えていて、そこで羊や牛を放牧して暮らしている人々がいます。シリアの灼熱の砂漠と比べると、その光景はどこかほっとさせられます。ここにはクルド人が多く住み、一週間ほどアラブのシリアに居た私は、また土地が変わって、人が変わったということを実感させられています。

このドゥバヤズットという町は〈ノアの方舟〉で有名なアララット山が間近に見られ、聖書の勉強をしたことのある私には、やはり来てみたい町の一つでした。そして乗り合いバスで町から10分くらい行った山腹には、その昔クルド人が建てた〈イサク・パシャ〉という宮殿があり、周囲の崖に溶け込んでいるその姿はとても素晴らしいです。

東欧諸国を旅してから、自然と人が魅了して已まないトルコ、そしてアラブの国であるシリアと旅してきて再びトルコに戻りましたが、これらの国々を周っていると当然にように人が変わり言葉が変わっていきました。そこにはその土地とその気候、これまでの歴史に根ざした生活がありました。シリアでは人口の半分が砂漠の民〈ベドウィン〉と言われています。彼らの様子をバスから眺めたり、たびたび見ることもありましたが、その土地にはその土地に適した家があり、その土地で獲れる食べ物があり、その気候にあった服装があり、そしてイスラムの信仰がありました。

バスからまるで緩やかなグラデーションのように変化していくその風景を眺めていると、“きっと人はどこかでつながっている”ということを分からせてくれます。きっとイランやパキスタンやインドに行っても、またはこの町で会った旅人のようにアゼルバイジャンやアルメニアやグルジアに行っても、中東諸国からアフリカへ渡ったとしても、きっとそれはつながっていくと思わせてくれます。そしてそれはおそらくアジアの東の果てにある日本という国までも、きっとつながっていることを思わせてくれます。

今月の13日からイスラム諸国ではイスラムの断食節である〈ラマザン〉に入っています。日が昇り日が沈むまで、人々は食べ物や飲み物を一切口にしないというものです。旅行者は適応されませんが町のレストランは夕方まで閉まり、地方に行けば行くほど厳しいように感じます。私は多くの旅行者がそうしているように、隠れるようにして水を飲み、日中はカバンにいれておいた果物やビスケットを口にしています。
“ラマザン=苦行”というイメージを持っていた私は、トルコに入ってから出会う人々に“ラマザンはあなたにとって大変なことですか?”とよく尋ねていました。しかし人々は“もう慣れているし、昼の一食分を抜くだけだよ”とか“アッラーが守ってくれている”という前向きな答えが返ってきました。ラマダンをすることで、貧しい人のことも考えられるし、タバコも酒もやらないことで体も清められる、ラマダンは素晴らしい、、そう言ったおじさんもいます。

彼らはとても自然に、そして穏やかにラマザンをしています。

旅をはじめてから5ヶ月以上たち、あと6週間ほど旅を続けて日本へ帰国する予定です。
長い間旅をしていると、洗面用具を何度も買い替え、日記帳や文房具も新しい物になり、ガイドブックは旅行者同士で交換したり、長く履き続けていたズボンも破けたりします。しかし体だけは特に壊すこともなく、トラブルもなくここまで来れています。

旅をしていて分かったことは、私は日常の風景を眺めることが好きだということです。もちろん圧倒的な景色や紀元前から歴史のある町など、そんな場所を訪れるのも大好きですが、その土地の人々の生活の匂いがするところ、都市でも裏路地を一歩入ったところ、観光客が誰も行かないようなモスクや教会、人々が行きかうバザールなど、私はそんな日常を眺める時間が好きです。

その何気ない日常は、人間にとってかけがえのない大切なものだと思っています。そういう平穏な日々を送れることがとても幸せなことだと、私は旅をして学びました。日本に帰ったら、そういう日常を大切にしていきたいし、もう一度そういう人の役に立てる仕事をしてみたいと思っています。

これから先は、インドのムンバイに飛ぶ予定です。
聖なるものと俗なるものが入り交ざった国・インド。インドを旅していたときは喜怒哀楽がはげしくて、世の中にあるもの全てがあるなという印象を持ちました。そしてインドが大好きになって帰国したことを覚えています。世界旅行に出たいなと思ったのも、インドから帰ってきてからでした。私にとってインドは2度目になります。
どうやらこのインドでも、行く先々で学ぶことや知ることが多そうです。これまで感じたり学んできたことが、また根底から覆されるような大きな経験を、私はインドに期待しています。

どうか良い旅が続けられますように。
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by francis-sp | 2007-09-23 23:57 |

iSTANBUL

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約一ヶ月の東欧の旅を経て、トルコのイスタンブールに到着しました。

東欧はドイツからチェコ、ポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアと自由気ままに周り、賑やかな大都市から小さな町まで訪ね歩き、ひとつの場所をじっくり見るような感じで旅してきました。そしてとりあえずのゴールであるイスタンブールに着きました。

この街は、ボスポラス海峡を挟んで東西に分かれ、よくヨーロッパとアジアの架け橋と言われています。〈イスタンブール〉という言葉だけでもどこかエキゾチックな響きで、いつか行ってみたいと思っていた街でした。

ブルガリアのソフィアからバスに乗り、いよいよユーロ圏を抜け出して、12時間掛けイスタンブールのヨーロッパ側に到着しました。この街は私が想像していた以上に大都市で、多くの建物が立ち並び、多くの車やバスが行きかい、多くの観光客で溢れ返っています。ヨーロッパからの観光客が多いですが、イスラム国家ということもあり中東やマレーシアなどのイスラム圏の人々もここに来ているようだし、アジアからの観光客も多いです。

そしてまさにイスタンブールは、アジアから来た旅行者とヨーロッパから来た旅行者が交わる場所でもあります。アジアのインド、パキスタン、イランと渡って来た旅行者たちは、あまりにもイスタンブールが栄えていて物価も高いため“イスタンブールはもうヨーロッパだ”と口を揃えて言っていますが、南米やヨーロッパを周ってきた私にとっては、イスタンブールは〈アジア〉そのものです。

東欧のルーマニアやブルガリアでも、すでにロシアの要素を含むアジアの雰囲気を少しずつ感じてきていて、そしてイスタンブールの街並みも行き交う人々も、これまでいたヨーロッパのそれとは違います。イスタンブールには、空を突き刺すような大きなモスクがいくつもあり、礼拝の時間を知らせる〈アザーン〉が鳴り響きます。そしてトルコの女性たちは色鮮やかな衣装に身をまとい、マーケットを行ったり来たりして買い物を楽しんでいます。

イスタンブールへ、そしてアジアへようやく来ました。

イスタンブールはトプカプ宮殿やアヤソフィア、ブルーモスクなどとても有名で、それに目を奪われがちですが、一本裏道を歩いてそして路地を曲がってみると、もうそこは人々の生活の匂いがします。そこには衣類品や食料品や金物から子供の玩具からいろんな生活用品を売る小さな商店が並び、男たちは威勢のいい声を出して商いをしているし、狭い道を車や荷台や人々が行き交っています。

そして小さなモスクも町には点在していて、時間を見つけては人々が祈りにやってきます。
祈りはとても静かで、モスクには静かな時間が流れています。そしてそれは宗教こそ違いますがどこの国や街でも眺めてきた光景でした。祈りは日常の中にあります。私も汗だくになって町を歩き、途中に何気なくあるモスクで休んでそんな光景を眺めていると、心が安らぎアジアに居ることを実感します。

東欧を一ヶ月旅してきてヨーロッパについて分かってきたのは、ヨーロッパの国々の歴史を語るとき、その国一国だけの歴史だけではもはや語りきれないということです。
ヨーロッパの歴史は遥か大昔から始まり、ヨーロッパ大陸にはとても大きなものが横たわっている気がします。歴史は常に流動的で複雑で、権力的で血なまぐさいような歴史があったと思います。ヨーロッパの歴史はヨーロッパ全体の地図を元に、その時代のいくつかの勢力にそれぞれ色を塗ってみてはじめて分かるような気がします。

私が見てきた東欧は、冷戦時代の東欧ではすでになく、暗くて寒いような東欧のイメージはすでに過去のものでした。もちろん今でも首都には社会主義時代の大きな威圧的な建物が存在しているし、東欧の人々にとってはつい最近のことです。小さな町に行けば古くからの素敵な町並みが残り、人々の素朴さに触れることができます。まだまだ馬車が走っている村もあるし物価が安いところもあります。観光地には観光客が溢れています。
しかし一つの国として全体的に見てみると、私が見てきた東欧は、EU経済圏というものにどんどん組み込まれていく東欧でした。都市には大きなモールがあって物が溢れていて、大人から子供まで買い物を楽しんでいて、日に日に物価が上昇して経済がどんどん良くなり発展していくのが見て分かりました。

ポーランドやスロヴァキアやハンガリーやスロヴェニアの若者も旅が好きで、ルーマニアやブルガリアやこのイスタンブールでも話す機会がありました。彼らに聞いてみると、西ヨーロッパはがぜん物価が高くて旅ができないし、ましてやアジア行きの航空券も買えない、だから自分の国より物価が同じか安い国を旅しているとのことでした。EasyJetとかRyanAirとか、ユーロは格安航空券が発達していてユーロ圏なら今では信じられない値段で簡単に飛ぶことができます。

そしてこの小アジアのトルコも、現在EU加盟に向けて努力しているそうで、おそらく10年後にはEU加盟を果たすのではと聞きました。それに対してトルコの人々は複雑な心境なようで、経済が良くなることは歓迎だけどEU圏には組み込まれたくない、トルコはヨーロッパではなくアジアだと考えている人も多いそうです。そしてイスラム国家ということでEUに加盟するには何かと問題が多い。

“何気ない日常を送れることが実は一番幸せで一番大切なこと”

私は日本で仕事をしていて、そして旅をしていく中で分かっていたつもりですが、東欧を旅してきて、大きな激動の歴史が横たわっている東欧に住んでいる人々は、それを自然と身につけてきてそれを当然のことのように知っているように思えます。四季がある豊かな大地と気候を持ち、ポーランドのようにある一国が地図上から消されたり、スロヴェニアのように長い間他の国の支配を受けてきた歴史を持つ東欧の人々は、もちろん明るいですがどこか物静かで冷静で、落ち着いていて思慮深い印象を受けます。

1年後、5年後、10年後、私が周ってきた国々はどんどん変化していくことでしょう。
“Everything is changing、〈すべてが変わっていくね…〉”、旅をしていてよく聞いた言葉でした。でも変わらないで欲しいところはどうか変わらないでいて欲しい。大切なものは失わないで欲しい。そう願うのは私だけではないでしょう。勝手に他の国から訪ねてきた旅行者たちのたわ言でしょうか。

“サラーム・アライクム(平安がありますように)”

イスラム圏の人々はそう言って挨拶をし、そして相手は同じように返します。私はその言葉がとても好きで、モロッコでもこのトルコでもよく使っています。

どうか、平安がありますように。
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by francis-sp | 2007-09-04 22:49 |

Bowmore 12 years Old:

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いよいよ明日からヨーロッパへ旅立ちます。

ドイツのフランクフルトに着いたら、友達に勧められたバンベルグという世界遺産の街に行ってみたいと思います。それから先はおそらくチェコ、ポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニアなど、主に鉄道を利用しながら周る予定です。

百歩ゆずってドイツはまだ良しとしても、私はこれから周ろうとする東欧の国々について、実はあまり知ってはいません。地理や気候はもちろんのこと、歴史や文化、そこに住んでいる人種、話されている言葉、歴史的に有名な人物など、、恥ずかしながら、私はほとんどを知りません。

私にとって東欧は、全くの未知の国です。
ヨーロッパの歴史に興味が無かった訳ではないですが、これまで読んだ本はどちらかと言えば中東やトルコを含むアジアに関する物が多く、それに出てくるヨーロッパの国はどちらかと言えば西欧の国々が多かった気がします。

もちろん治安や天気など、必要なことはインターネットで調べてはいましたが、今日荷物を整理してみて、はじめてガイドブックを開きました。

前回の南米の旅を終えてみて、旅の仕方が少し変わりつつあります。
それは期間が決められていない分、自由にプランが立てられるということ、南米でもそうだったように、まずはその国や都市に着いてからその次のことを考えるということ、とりあえず目の前の世界を存分に楽しんで、そして色んな情報を集めながら先のことを決めるということ、、

ガイドブックの情報はほんのわずかな必要最低限の情報でしかないと思っています。
現地に着いたらまずはツーリストインフォメーションに行って、その土地の地図をもらい、安いホテルがたくさんあるような場所を教えてもらえばいい。この街ではどんなところが見どころなのか聞いてみてもいいし、地元の人と親しくなったらどんな街がオススメなのか尋ねてみるのもいい。

南米ではウルグアイにも行きましたが、さすがにウルグアイについても何も知りませんでした。辛うじてサッカーがまあまあ強いって事くらい。深夜に着いたので、インフォメーションの人にはお世話になりました。ポルトガルはガイドブックを持たずに尋ねたから、バスで首都のリスボンについたときは右も左も分からず、、とりあえず駅員に今いる場所はどこなのか、街の中心部はどこなのか、そんなことを尋ねて旅をしていました。モロッコも同じようなもので、、だけど私はイスラムの人々の〈ホスピタリティー〉、旅行者を大切にするというものを信頼して、モロッコに行くことを決めました。

“百聞は一見に如かず”で、それについて何も知らなくても、はじめて見たものに興味を覚えて、帰国したらそれに関する本を読んでみたいということが結構ありました。ローマ帝国やアラブやユダヤ教についてなど、、旅をしていて、自分の興味が広がっていくのが嬉しいし楽しいです。

慣れない言葉を使ってその土地の情報を得るということは、結構大変だし時間が掛かります。時間が限られているなら事前に調べていたほうがもちろん効率的です。私もこれまでの旅はそうしていました。

だけど今回の旅も時間がある分、ゆっくりとあせらず旅をしたいと思います。
そして生まれて初めて見るものに感動して、興味を覚えて、少しでも自分の世界を広げられたらと思っています。

まあそんな話はどうでもよくて、なんだか出発前夜に飲むスコッチ〈BOW MORE 12年〉がやたら美味いのです!!日本に帰国してさんざん酒を飲み、実は酒が弱いってことにようやく気づきましたが、久々に飲むクセのあるシングル・モルトは薫り高く、アイラ島の厳しい自然の中で12年間も熟成されて、今こうして向き合っていることに幸せを感じたりもするのです。

いずれはスコットランドのウィスキーの蒸留所を廻る旅もするんだ。

ではではお休みなさいませ。
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by francis-sp | 2007-08-06 00:06 |

Please PRAY

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フジロックから帰ってきました。

また来週からヨーロッパへ行きます。
ドイツのフランクフルトに入り、そこから中欧諸国を周りながらトルコのイスタンブールに行きたいと考えています。

期間は未定ですが、おそらく今年一杯まで旅してそうな気がします。

ドイツを選んだのは、“ドイツはいいよ!”と皆からの評判が良いことからです。“ドイツはいまいち…”と言っている人に会ったことがありません。ドイツ人は親切で真面目だという国民性をよく耳にします。そこがどこか日本人と似ているともよく言われます。確かに旅で出会ったドイツ人は落ち着きがあって、気配りが出来る人が多かったし、色んな国の人と仲良くしていた気がします。

そんなドイツに是非行ってみたいのです。

そして中欧を選んだのは、まだ発展途上の国があるし、昔からの景色が残っているどこか田舎の人間臭さそうな国に行ってみたいと思ったからです。そして西欧と比べると物価がまだ安いということも理由の一つです。

南米やスペインを旅しているときも、首都や都会ではなく田舎町の方が楽しかった思い出があります。スペインではマドリードよりは、バスで何時間もかけて行くようなトレド、メリダ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、アビラ、グラナダとかそんな中世の町並みが残り、紀元前のローマ文化やキリスト教やイスラム教など様々な文化が入り交ざった町の方が私は好きでした。

トルコから先は、どうするか考えていません。
エジプトへ行ってみるのもいいし、中東を周ってみるのも面白そうだし、インドや東南アジアに飛んでもいいし、日本に帰ってきてもいいし、、とにかく自由な旅です。

日本に帰ってきたらもちろん真っ先に仕事を見つけなくてはいけません。
でもこの旅をしていて、これまでやってきた医療の仕事を生かして、この先やってみたいことが少し見えてきました。それはすぐには出来ないだろうから、それに向けて必要な知識や技術を身に付けられるような仕事を見つけられたらなと思っています。

去年のフジロックの頃は、なかなか前に進めなくて悩んでいて、仕事を辞めたくて、現実逃避の旅に出てしまいたくて、、深く悩んだ時期でした。でもそれを救ってくれたのは去年の秩父巡礼の旅だったし、私を前向きにさせてくれる多くの暖かい言葉でした。
今年のフジロックであの頃の自分を振り返ってみると、今はずっと前に進んでいるし、気持ちがとても晴れやかです。3ヶ月旅をしてみて物事を肯定的に捉えることが出来るようになった気がします。

だから日本に一時帰国して、毎年楽しみにしているフジロックに行って良かった(笑)

また新たな気持ちで旅に出られそうです。
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by francis-sp | 2007-08-01 17:16 |

El Loco

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スペインのバレンシアで航空券を予約して、いよいよ日本へ帰ることが決まったら、日本へ帰国するのが楽しみで仕方ありませんでした。3ヶ月間旅をしていて、日本という国がとても素晴らしい国であることを実感したし、出会った旅行者たちが日本に興味を持っている人が多く、それが結構嬉しかったりして、久しぶりの日本が私にとってどのように見えるのかとても興味がありました。

成田で入国審査と税関を無事通過したとき、余りにも嬉しくて“よーっし!!”とこぶしを握り叫んでしまいました。そしてパスポートに押された〈帰国〉というスタンプを何度も確認しました。さっそく成田の売店に赴いて、おにぎりを2個買ってすごい勢いで食べました。ペットボトルのお茶が美味しかったです。

成田から東京へ向かう京成線から眺める千葉の田園風景は、とても穏やかで、どこかのんびりしていました。つい2日前までモロッコの砂漠に居たので、緑溢れる風景が日本に帰ってきたことを実感させてくれました。田んぼのあぜ道を郵便屋の赤いバイクが走っている風景や、電車の中で英単語を覚えている女子高生、熟睡しているサラリーマン、携帯をいじっている若者、孫を連れたおばあちゃん、、これまで日本でさんざん見てきた風景がとても新鮮で微笑ましく見えました。

乗り換えのローマの空港で、日本の中高年の夫婦やおそらく新婚旅行でイタリアに来ているカップルに大勢会いました。そういうのを眺めていたら気軽に海外旅行が出来て、何歳になっても旅行を楽しめるのはいいことだなと思いました。機内でも添乗員さんがお客さんに声を掛けたり、成田に着いたら今度はお客さんが添乗員さんに深々と頭を下げてお礼を言ったりなど、、そういうところがとても素敵だなと思いました。

日本は“こころ”の国だなと思います。
人への気配りや真心という素晴らしいものが、日本にはあります。

これまで旅をしていたときは日本に帰りたくなくて、日本に帰っても一週間くらいぼーっと過ごしていました。今回は仕事こそまだしていないものの、日本にあっという間に馴染んでしまっています。それは私自身が日本を好きになっていたし、日本を離れてみて自分の国の良いところにたくさん気づけたからだと思います。

今回は一時帰国。また8月上旬にはヨーロッパに行きます。
日本に居られるのは2週間ちょっと。もう少しゆっくりすればいいんだけど、日本に腰を落ち着かせてしまう前に旅立つ必要があるという思いからでした。

今週末は毎年一度の一大イベント〈Fuji Rock Festival '07〉です。実はそのために帰国をしてしまいました。バカ野郎です。大バカ野郎です。でも私にとって音楽とパーティーはやはり外せない。旅をしながらどこか求めていたものです。

これもまた一つの旅の形かもしれない。

アフリカ大陸の西の端からアジアの東の端へ、はるばる旅をしに来たのだ。まだまだ旅は続いている。そんな気持ちで日本を数週間過ごしてみるのもユニークで楽しいんじゃないか。

今日の予定はまず滞納している税金を潔く支払いに行き、午後はトーキョー見物かな。基本はアサクサ、スシ、オコノミヤキでしょう。シンジュク、シブヤ、ハラジュクも外せないな。アキハバラやオタク文化も日本通のヒトは知ってるしな。夜はアサヒビール、サケでしょうか。

うーん出費がかさむ、、みんな口を揃えて言うように、やはり東京は物価が高いな。
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by francis-sp | 2007-07-25 10:06 |

“ショッコラン-ありがとう”

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フェズの空港へ向かうバスへ乗り込んで、いよいよ日本へ帰ることを思ったら、不意に涙が込み上げてきた。

この旅が素晴らしい旅になったこと、無事に終われるということ、本当に良い旅が出来たこと、たくさんの出会いがあって、たくさんの人に支えられてここまで来られたこと、、バスに揺られながらこの3ヶ月間で何気なく出会った人々を思い出していたら、もう涙が止まらなくなった。

旅が終わることが寂しいのでも残念なのでもない。旅をまだまだ続けたい訳でもない。

“素敵な旅が出来たこと”、、ただそれだけが嬉しくて、とても幸せなことで、、

バスに乗っているモロッコ人に涙を見られたくなかったから、顔を見られないように窓の外をずっと眺めていた。

3ヶ月という期間は長いようで短かった。そして短いようで長かった。
私の人生の中でほんの一部でしかないけど、私は幸せな時間を過ごすことが出来た。そして大きな宝物を手に入れることが出来た。

旅に出るまで悩んで辛い日々を送ったこと、出発するまで多くの時間と労力を費やしたこと、ふとあのころの日々を思い出して、やはり旅をして良かったと思った。そして今こうして旅を終え一区切りして日本に帰ろうとしている自分がいる。私が生まれ育った祖国が待っている。

私をこうして突き動かしてきたものは何だったのだろうか。
それは何か大きなもので、大きな力のように感じる。

それはこの旅で少しずつ分かりかけてきた、人間にとって一番大切なもの、生きるために必要なもの、それはおそらく夢と希望である。
いま私は、あのころに思い描いていた夢の中にいる。とても幸せなことだ。

旅で出会った人々は今頃何をしているだろうか。みんなそれぞれ旅を続けて、私とは違った人生を歩んでいる。この旅をしなかったら一生出会えるはずのない人々ばかりだ。

灼熱の中、バスはゆっくり走り続けていて、ムスリムの衣装を着た人々が乗り降りしている。
彼らには日常があって、この旅で出会った人々にも日常がある。この旅で出会った人々は時間が経てば私のことを忘れてしまうだろうか。だけど私はこの旅で出会った人々やこの旅のことを決して忘れることはないだろう。

旅で出会った人々が私の旅を作ってくれた。
どうしたら良いか分らないとき、必ず手を差し伸べてくれる人がいた。笑顔で元気づけてくれる人がいた。たった一つの言葉を話すことで、人と触れ合うことが出来た。旅を終えて思い出すことは、そういったことだ。

旅は人を変えるだろうか。

私の場合は、この旅で多くのことを見て聞いて感じて、多くのことを知ることができた気がする。笑ったり、嬉しかったり、驚いたり、喜んだり、時に涙が出そうになったり、怒ったり、悩んだり、なかなか前に進めないときもあった。その中でも一番思い出すのは、やはり人と人との関わりだ。旅がそれを教えてくれて、気づかさせてくれた。

上手く踊れなくてもいい。何もそんなに恥ずかしがらなくてもいい。足が絡まってもいいから自分の踊りを楽しく踊り続ければいい。上手く言葉が話せなくてもいい。違う国の言葉を話せないのは当たり前だ。だから笑顔で自分が知っている言葉を全部話してみればいい。上手に歩けなくてもいい。人と違う歩き方でいいから、自分の足でゆっくりと歩けばいい。

この旅が教えてくれた。
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by francis-sp | 2007-07-22 03:36 |

beleza

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ブラジルを旅していたとき、一番好きなポルトガル語は〈beleza-ベレーザ〉という言葉だった。英語に直訳すれば“beauty-美しい”だが、ブラジルでは日常的によく使われる言葉だった。

人と会ったときに“tudo bem?-調子はどう?”と聞かれたら、“beleza!-最高だよ!”と答えるし、街を歩いていて物売りがどこからかっぱらってきたのか“1ヘアルで歯ブラシ売るよ!”と声を掛けてくるときも、やはり答えは“beleza!-いいね!”だった。

サンパウロに寝泊りしていたペンションには日系人も暮らしていて、その一人のカズさん(仮名)にも良くしてもらっていた。学生時代に農業移住制度でブラジルの地を踏み、もう30年以上もブラジルで生活している。今はサンパウロにある車関連の会社に勤めているとのことだった。
当時の日本の移民は日本からブラジルまで船で渡ったそうで、途中ハワイ、ロスに寄港し中米のパナマ運河を通りブラジルにやってきた。45日間の船旅だったそうだ。

“日本とブラジルの違いって何ですか?”

サンパウロでは日曜日になると公園で〈ヒッピー市〉と呼ばれる大きなバザーが開かれる。私たちは地下鉄に乗ってそこに向かうところだった。今日のサンパウロは晴れていてサングラスが必要だった。南半球は冬を迎えているが、ブラジルはまだまだ暑い。

サンパウロにはブラジル人を始めとして、東洋人、イタリア・ドイツなどのヨーロッパ人、ユダヤ人、肌の色が白いのから黒いのまで、まるでうごめくように暮らしている。でもアメリカみたいに人種を区別したりしない。ブラジルではそれがすべてMIXされているから、区別するのがもはや不可能だしまるで意味を成さない。私でも街を歩けばブラジル人に道を聞かれることもある。

彼らをまとめることが出来る唯一の言葉は、“ブラジル”という言葉と国だ。

“ブラジルには夢がある”
カズさんは少し考えてニコニコしながらそう答えた。私が期待していた以上の答えを返してくれた。嬉しい気持ちにさせる、とても素敵な答えだった。

ブラジルで一ヶ月過ごしてみて、この国の人はヒトはそれぞれ違って当たり前ということを前提として生きていると思うようになった。だから他人の考え方を尊重し認めるし、他人の場所や時間、身てくれや着ている物を認める。そして他人にそうするように、当然自分のそれらも尊重するし主張もする。自分のことをとても大切にしている。

この国では〈過労死〉という言葉は無いだろうし、自殺も日本より少ない。疲れて仕事を休みたかったら自分から休むし、上司はそれを理解するという。キリスト教の国だから自殺は少ないのもあるし、自殺ではむしろ恋人同士の無理心中が多いそうだ。それもピストルで恋人の頭を打ち抜き、そして自分の頭を打ち抜く。なんて熱い国なんだろうか。

一時期は失業率が10%を超えたときもあったそうだ。もちろん今でも失業率は高いし貧富の差もある。乞食や娼婦、麻薬の売人、路上の物売り、ビンや缶を集めて売る人、、街を歩けばそれを日常的に目にするし、うかうかと街の中心を離れると景色が一変して〈ファベイロ-スラム街〉にぶち当たってしまうこともある。そしてブラジルでは犯罪が多いのも確かで、新聞の一面をそれらのニュースが飾ることも多い。

だけど暗い顔して街を歩いている人は居ないし、基本的にブラジル人は明るくて人懐っこい。とりあえず親指を立てて、ニコッと笑顔を見せる。私はそれが大好きだ。
ブラジル人は人それぞれ違うことも知っているし、日本では覆い隠してしまうようなそうした暗い影の部分があることも知っている。それらはもちろん無いに越したことはないが、この国にはすべてが存在してそれらが丸見えだ。でもそういう世の中の方が、どこか人間臭くて、本来の人間の姿だとも思ったりする。たまたま私はそういうことが少ない日本で生まれたのだ。

ブラジル人は皆それぞれ夢を持って生きているとカズさんは言う。日本では学校を卒業して社会に出てしまうとある程度決められた人生を歩むことになる。自分のこの先のことが分かってしまう。でもブラジルではそういうことが無くて、チャンスがたくさん転がっている。どこかを工夫するだけで誰でも成功することが出来ると言うのだ。
真夜中に二人乗りのバイクが走っていたらほとんどが強盗だと思っていい。盗まれて警察に行っても何もしてくれない。“なぜ盗まれるものを持ち歩くんだ”と取り合ってくれないそうだ。ブラジルでは盗みも一つの仕事かもしれない。このバザーでもそうだ。無名の画家がたくさん居て、みんな自分が描いた絵を売っている。素晴らしい作品ばかりで今のリアルなアートが見られる。それを車で買いつけに来ている人もいた。才能が認められれば声が掛かり、有名になれるかもしれない。ある意味みんなチャンスを狙っている。

今日はサンパウロの中心にあるパウリスタという大通りで、〈ゲイ・パレード〉が開かれるそうだ。毎年一回この時期に開催されブラジル各地から300万人の人々が集まる。もう10何年も続いているという。市内バスに乗って会場に向かう若者たちが、窓を開け大声を出して騒いでいる。“遊びに行こうよ!!”と言っているようだ。

私もバザーに行った後、カズさんと別れて物珍しさでパレードを見に行った。地下鉄の駅を出てみるとズンドコズンドコ音が聞こえてきて、物凄い数の人とゲイである。いや地下鉄も尋常じゃなかった。ハード・ゲイ&オカマちゃんだらけである。みんなフォーフォー叫んでいる。そしてそれを見に来た見物人の数もすごい。パーティー好きの若者をはじめとして、家族連れからおじいちゃんおばあちゃんまでいる。それに便乗して路上でビールを通常価格の数倍で売っている人もいる。とりあえず東洋人は私しか居ないようだ。通りにはDJブースが乗っかったトラックが24台くらいあり、爆音でトランスを流している。こんな光景って日本であるだろうか。そしてこの通りを完全封鎖してパレードに全面協力しているサンパウロ市長に是非会ってみたい。

久しぶりに聞いた生の四つ打ちにテンションが上がり、私も安全そうな人々の周りで気持ちよく踊った。クラブもスポンサーとして協力しているようで、かなり洗練された音楽だ。

ビールを飲みながらニヤニヤと写真を撮っていると、珍しいのか何度か日本人・ゲイに間違われ、何度かとろんとした目の彼ら(彼女ら?)にワインをもらった。“アナタはオトコが好きですか、オンナが好きですか?”と上半身裸のゲイに聞かれた。“女が大好きだ!”、“ブラジルの女性はとても〈beleza〉ね!”と私は答えた。残念そうに彼はまた踊りながらトラックに付いて行った。私がノーマルで自由に女性を愛するように、彼らも自由に男性を愛することを主張している。それはとても自然なことで、人間らしいことだと私は思ったりする。昨日はレズビアンのパレードがあったそうだ。色んな人間が居て人と違うことは当たり前なのだ。ブラジルに居れば誰もがそう思う。

激しいパレードが終わると、みんな名残惜しい感じも無く笑顔で帰っていった。通りには大量のゴミが散乱していた。アフターパーティーのフライヤー、フラッグ、ペットボトル、空き缶、、私のすぐ隣で女同士が抱き合いキスをしていた。私はゲイのシンボルカラーであるレインボー柄の缶バッヂを拾った。そこには“viva a diferencia ~!!”みたいなことが書かれていた。

“違いがあることは素晴らしい!!”
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by francis-sp | 2007-07-03 06:05 |


音楽、旅、本、サッカー、日常などをテーマにfrancisが気ままテキトーに語っています。本でも読むような感じで、ゆっくり見てくれたら嬉しいです。


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