カテゴリ:A day in the life( 37 )

Foz do Iguacu

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by francis-sp | 2009-01-03 18:42 | A day in the life

"Hello, Goodbye"

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ブラジルに入って景色が変った。
南米大陸の約半分を占めるブラジル。ブラジルはこれまで旅してきたペルーやチリ、アルゼンチンとは違う風景を見せてくれた。バスで移動し窓の外を眺めていると、木が多くなり緑が増えてきた。さながら日本に近い風景である。トウモロコシ畑が続き、走っている車も新しいものが多い。そこにどこか“豊かさ”を感じる。そのためか人々に元気がある。活力ではない、どこかに明るさがあるのだ。

これまでの南米の旅は、寒くて凍えそうな荒涼とした大地をバスでひた走る旅であったが、ブラジルに入ってどこか安心感がある。この先のサンパウロで聞いた話だが、おもしろいことにブラジルに住み着いたかつての移民たちは、本国と同緯度のところに暮らす傾向があるという。日系人はサンパウロに住んでいるし、ドイツ人などのヨーロッパ人は南部、黒人はブラジル北部に多い。確かに〈ポルト・アレグレ〉は白人が多かった気がする。

“イグアスの滝”を観るために〈Foz do Iguacu〉という町に来た。〈Rodoviaria=バスターミナル〉のツーリスト・インフォメーションで地図を貰い、ユースホステルを紹介してもらった。路線バスに乗り無事にユースにたどり着いた。そこで韓国人旅行者の“ワニ”と出会った。

ワニは私より若くて年齢は20代前半だった。韓国では男性に2年間の兵役が課せられていて、彼はブラジルの旅行を終えたら本国で兵役に就くという。彼にとって兵役前の最後の旅行だった。イグアスの滝を観たらサンパウロに居る姉夫婦のところへ向かう。彼は英語はほとんど出来なかったが、私と少しの時間を共にした。一緒に観光したり食事をしたり、お互いの国の言葉を教えあったりして楽しく過ごした。

このような韓国人旅行者は、旅の先々でも多く出会った。それはトルコであったり東欧であったりインドであったりした。日本人と同じように、韓国人旅行者も世界を自由に旅している。男性旅行者と話していると、だいたい兵役の話題になった。尋ねてみると、2年間の兵役を終え社会復帰する前に、しばらく自由に旅をしているという者が多かった。

イスラエルも若者達に兵役を課す国である。〈イズラエリー=イスラエル人〉とは、インドのゴアで一緒に過ごすことがあった。男性は3年間の兵役があり、女性も2年間兵役があると言っていた。銃を携えたイスラエルの女性兵士の映像をテレビで見たことがある。パレスチナへの攻撃を繰り返しているイスラエルの民である彼らは、アラブ諸国を自由に旅することが出来ない。イスラム国家のイスラエルへの憎悪は、旅をしていて感じることが幾度となくあった。兵役を終えた彼らも自由に世界を旅している。

“Armyに行くのはイヤだ”、とワニは言っていた。

兵役を終えた彼らに一貫しているのは“逞しさ”だと思う。それは体格が良かったりだとか精悍な顔つきをしているとか、そんな見掛けのことではなかった。少しのことでは決して怯まない“強さ”を彼らは持っているのだ。それらは自然と滲み出てくるもので、日本人の私達には持ち合わせないものだった。

“イグアスの滝”を観光した夜、ユースホステルの庭でオーストリア人旅行者と食事をして、ギターとサックスでセッションしたりして楽しく過ごした。ブラジルに入りだんだん温かくなり、過ごしやすくなってきている。サックスを吹いている“セップ氏”はオーストリアの雪山で催される〈Snow Jazz Festival〉のオーガナイザーだった。そんな人とセッションが出来て幸せだった。

人それぞれ様々な事情を抱えて旅している。私は彼らがなぜ旅をしているのか知らないし、彼らも私がどんな理由で旅をしているのかを知らない。しかし偶然にも南米のこんなところで巡り合っている。この先、再会することはないだろう。でもそれが旅で、それぞれ明日にはまた違う土地に向かわなければならない。行った先々でまた新しい出会いが待っている。旅が終わり自国に帰るまで、懐かしく過去を振り返る余裕はないのだ。

次の行き先、ブラジルの首都サンパウロでも素晴らしい出会いがあった。
ありきたりの言葉だけど、旅とは出会いと別れの繰り返しなのかもしれない。
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by francis-sp | 2009-01-03 18:33 | A day in the life

DESTINO PORTO ALEGRE

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南米で最大の国、ブラジルの南部〈ポルト・アレグレ〉という街に来た。

ブラジルへの入国はスムーズで、夜行バスで私たち乗客が寝ている間にバスのドライバーが入国手続きをしてくれたようだ。朝、目覚めてみると、いつの間にかバスは悠々とブラジルの大地を走っていた。

モンテビデオのブラジル領事館で“1800ウルグアイ・ペソ(日本円でおよそ¥8000)”を支払い、30日間ブラジルを旅行できる権利〈ツーリスト・ビザ〉を得た。そしてブラジルを必ず出国するという証明のために、クレジットカードとバスの“Around Ticket(往復チケット)”の提示も求められた。

私はブラジルからヨーロッパのスペインへ渡るつもりだった。だからウルグアイに戻ってくるつもりはないし、ブラジルでスペイン行きの航空券を買うつもりだった。〈モンテビデオ⇔ポルト・アレグレ〉間の往復チケットは、私にとっては何の意味のない、ただブラジルに入国するためのただの一枚の紙切だった。復路分のチケットは、いずれ捨ててしまうだろう。

ブラジルに入り言語がスペイン語からポルトガル語に変わった。バスの乗客もどことなく明るい印象を受ける。風景も気候もウルグアイとはそう変わらないが、褐色の肌をしている人間が増えて人種が混ざり合っているようだった。そして貧しい人も見受けられる。

〈ポルト・アレグレ〉は“陽気な港”という意味で、サッカーのロナウジーニョもこの街の出身だと後になって知った。ポルトガル語はスペイン語と明らかな違いがある。スペイン語圏を約一ヶ月旅をしてきて、少しばかりスペイン語を覚えて使ってきたが、初めて聞くポルトガル語はまるでフランス語のようなアクセントに聞こえた。ブエノス・アイレスで出会ったフランス人のラーラが、“スペイン語よりポルトガル語の方が分かりやすいわよ”と言っていたのを思い出した。

“また新しい国にやってきた…”、ポルト・アレグレに着いてタクシーに乗り込み、運転手と話したとき思った。そして一からポルトガル語を覚えようと思った。この街で私がまずしたことは、〈livro=本屋〉を探して英語・ポルトガル語の辞書を買うことだった。

しかし、スペイン語を覚えたことは無駄ではなかった。
“where”→“donde”→“onde”であったり、“ビール”→“セルベッサ”→“セルベージャ”だったりして、スペイン語から多少変化したものがポルトガル語だった。スペイン語もポルトガル語も私にとってはそう大して変わらないものだったし、スペイン語圏に近いこの街は、まだまだ何とかスペイン語が通じたのだ。

ホテル近くの小さな商店でアボガドを買った。お店のおじさんは“もう傷んでいるから…”とサービスをしてくれた。アボガドを日本の“醤油”を付けて食べた。旨かった。この街はまだまだ寒い。早くサンパウロとかリオとか、ブラジルらしい熱い街に行きたいと思った。サンパウロには東洋人街がある。久しぶりの日本食に在りつくのが楽しみだった。

ホテルの部屋でポルトガル語の勉強をしていると、“carta=カルタ”という単語が目に着いてハッとした。カルタはポルトガル語で手紙という意味だが、日本の“かるた”もきっとその昔にポルトガルから伝来された外来語だろう。そう気づいた瞬間、ポルトガル語がとても身近に思えた。決して遠い国の言葉ではないのだ。

明日はバスで13時間かけて〈Foz do Iguacu〉へ向かう。ここではユネスコ世界遺産である“イグアスの滝”が観られる。ここまで来て行かない手はないだろう。南米で最後に旅したブラジル。この国で一ヶ月過ごして、私はヨーロッパへ飛ぶことになる。

ブラジルが大好きになる旅の始まりだった。
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by francis-sp | 2008-12-29 23:11 | A day in the life

Montevideo, Uruguay

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ウルグアイの首都〈モンテビデオ〉に来ている。

“ウルグアイ”、この国に対してどんなイメージを持つだろうか。私はこの国のサッカーが強いということくらいしか知らない。南米大陸の地図を見てもアルゼンチンとブラジルの大国に挟まれてあまり存在感がない。多くの日本人が“ウルグアイ”について話すことは一生に一度あるかないかであろう。

アルゼンチンのブエノスアイレスを去りウルグアイにやって来た理由は、ブラジルの〈ビザ〉を取得するためだ。ブラジルは南米大陸で唯一、ビザが必要な国だ。ブラジルには必ず行きたいと思っていて、入国審査でイエローカードの提示を求められる場合もあるらしく、日本であらかじめ〈黄熱〉の予防接種をしてきた。

しかし足止めを喰らっている。今日は日曜日だったのだ。ブラジル領事館は休みで、この小さなモンテビデオの町も安息日ということで徹底的に休んでいる。だからこうして海沿いを散歩して海を眺めたり、釣りをしている人々と挨拶をしたり、草サッカーをしている若者と話したりして過ごしている。聞くと隣国パラグアイからチームを呼んで試合をしているという。南米では国際試合が少しも珍しくない環境なのだろうか。

同じユースに泊っているドイツ人のパトリックが、年代物のベンツ車が町を行きかっているのを見て驚いていた。先進国では忘れ去られたクラシック・カーがウルグアイでは現役で頑張っている。彼は自分がベジタリアンだと言っていた。ヒップホップが好きでコネクションを作るために南米を旅しているらしかった。港に積まれたコンテナがドイツ行きだと知って嬉しそうにしていた。

この町は特別に観るものはなくて、半日あれば町を歩いて回れてしまう。
だけどこうして日がな一日、特に何をする訳でもなく、天気も良いので散歩して過ごすのも悪くない。モンテビデオは首都であるが、どこかのんびりした印象を受けた。

ブラジルの旅の準備もしなければいけない。ブラジルのガイドの類を私は持っていなかった。ブラジル人旅行者に頼んでブラジルの地図をノートに描いてもらって、それに主要な都市を書き入れてもらった。それを見ながら“サルバドール”、“トランコーゾ”、“アパレシーダ”、“イグアス”、“パンタナール”など私が気になっている土地の位置関係を教えてもらった。これで一先ず、バスのチケットを買う目安になるだろう。また行った先々で新しい情報を集めればいい。

わずかではあるがその国の言葉を覚えて、自分で旅を作り上げていく。それは時間が掛かるし手間も掛かるが、その楽しさにあらためて気づきはじめた。

ユースにはバングラデシュの5人の男たちも寝泊りしていた。自国の衣服に身をまとい、自分たちで食事を作っていた。彼らから旅行者に話しかけることはなく、その姿はどこか“異質”な存在だった。私が屋上でウィスキーを飲んでいると彼らの一人と出くわして仲良くなれた。ビジネスで40日間もモンテビデオにいるという。彼らはイスラム教徒であるが、酒もタバコも“外国だからノープロブレム”という理由で好きにやっていた。自分の国だったら逮捕されると言っていた。

聞くとやはり一日5回、〈メッカ〉に向かって祈りを捧げるという。何を祈っているのか尋ねると、イスラム教徒だけではなく世界中の人々の平和と幸せを祈っていると、一人の年長者が言っていた。どの国のどんな民族でも、どんな宗教でも、人間の願いはただ一つであり、それはずっと変わらない。今夜9時に最後の祈りをするというので、“祈るところを見せて下さい”とお願いすると快く応じてくれた。

彼らは二段ベッドにそれぞれ祈り用の布をひいて、時間きっかりに祈りを始めた。立位で手を広げ祈りを唱え、ひざまずいたり、額が床に着くほど頭を下げたり、、はじめて見るイスラム教の祈りは静かで、心が洗われていくようだった。私は5人の祈りを静かに眺めていた。“サラーム・アライクム”、彼らからイスラムの挨拶を教わった。

その後、彼らは夕食に誘ってくれた。チキンとジャガイモとライスのシンプルなもので、彼らを倣って右手で食べた。異国に来ても、自分たちにとって大切なものはいつでもどこでも普遍的であり、それを変えようと思うことがないのだろう。そのようなものを持っていることは、とても素晴らしいことだと思った。

この旅では、モロッコ、トルコ、シリア、イランとイスラム教の国を廻ることがあった。これらの国々でも私はあらゆる土地でイスラム教の人々の親切を受けることになった。彼らには旅人や困った人を助けて当たり前という〈ホスピタリティー〉の精神がある。言葉も何もかもが通じない国を旅できたのは、その恩恵を受けられたからだと私は思っている。そして彼らと同じように、私もそのような精神を持つことが出来たら、どんなに心が豊かでいられるだろうと思った。

モンテビデオでの彼らとの出会いは、そんな出会いの始まりだった。
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by francis-sp | 2008-12-21 10:00 | A day in the life

Patagonia

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by francis-sp | 2008-11-16 16:32 | A day in the life

Puerto Natales

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プンタ・アレーナスからプエルト・ナターレスへ。ここは正真正銘の〈パタゴニア〉の町だ。
昨日はパタゴニアのツアーに参加し、完璧すぎる自然を見て廻った。

そして今日はこの町で何をする訳でもなく、ぶらぶらしながら過ごしている。本当は今日中にチリのお隣の国アルゼンチンに入国し、〈カラファテ〉という町に向かいたかった。カラファテもまたパタゴニアのツアーの拠点となる町で、氷河を見ることが出来るらしい。
しかし足止めをくらっている。今日は日曜日なのだ。日曜日だと人々や商店は徹底的に休み、それはバス会社も例外ではなかった。だからこうして散歩をして過ごしている。

町はとても静かで外を歩いている人間はほとんど居ない。もともとこの町はパタゴニアの観光資源で成り立っている町だし、冬が間近のパタゴニアはシーズンオフだった。昨日のツアーにしても、何とか町の観光客をかき集めて決行できたようだし、この町の観光客をかき集めても一つのホテルで収まるんじゃないかと、港を歩きながら思う。

それにしても、この港もまた美しい。
私のような暇な観光客が、ぽつり歩いている。

パタゴニアの自然は厳しいがとても美しい。人間は想像以上の美しい自然に圧倒されると、声を出して笑うのかもしれない。気味が悪いが昨日の私はそうだった。完璧すぎて笑ってしまうのだ。

バスに乗って旅をしていると、道端にぽつりと立てられたキリストやマリアの像を見かけることがある。これまで廻った南米の国々でもよく見かけた。このパタゴニアの景色の中では、それはあまりにも異質で無力に近いように思えた。ここに取り残されたとして例え一晩中祈ったとしても、ここで生き延びることは奇跡に近いように思えるからだ。この土地で生きる術を私は知らない。ただ生きている実感はバスのエンジンの振動と今自分が生きていることだったりする。突如として町が広けてきて、町の灯りが見え始めて私は安心するのだ。

宿の白髪のご主人は、孫を抱きあげてキスをしている。子供がぐずると今度は息子さんが抱き上げてあやしている。それを見ていると、どこか心を温かくさせてくれる。
幸せな家族の姿は、どこの国や土地に行っても変わらない。厳しい冬がすぐそこまで来ていて、厳しい土地で生活している人々であるからこそ、神を信じるのだろうかと思った。

そんな町がこのプエルト・ナターレスだった。

雪を被った山々が連なり、大きな湖がある。その麓にある町。港町であるが港町特有の寂しさや錆びれた感じはない。どこか安定感があり、人々に強さがある。見るところなんてない町。だけど、どこか暖かくて素敵な町だった。
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by francis-sp | 2008-11-16 16:11 | A day in the life

Patagonia

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by francis-sp | 2008-11-16 13:45 | A day in the life

LAN CHILE

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〈プエルト・モン〉という港町から、飛行機でさらにチリの南へ〈プンタ・アレーナス〉に向かう。

パタゴニア…
まさかこの自分が行くことになるとは、思ってもみなかった。

プエルト・モンから以南、どんな気候でどんな風景が広がっているのか、私には想像もつかない。そしてどんなルートでパタゴニアを周り、アルゼンチンに向かうのかも分からない。気の向くままに自由な旅で、この先々のことは考えない旅だ。

プエルト・モンではパタゴニアへ向かう準備をした。
南半球は冬が近づいていて、さらに南のパタゴニアは寒いであろうから、手袋と厚手の靴下を買った。そしてワインを飲むためのコップや洗面道具を買い足した。この小さな町を歩いていると港町特有の寂しさを感じる。観光客も少なく町は冬ごもりの準備をしている印象を受ける。町を歩く老若男女ともに、どこか一種の“暗さ”があり、それが町全体に充満している。東洋人の私を見つけた土産物のおばさんが、空手の真似をして一人喜んでいた。

そんな町を数時間歩いて、特に気を引くものがないと分かると〈Hospedaje=民宿〉に戻ってきてしまう。宿を探すのも大変だった。シーズンオフのためか営業しているのは数軒だけだったのだ。宿に泊っているのは私だけで、女主人と特に話すわけもなく、私は部屋で静かにテレビを見ている。スペイン語が分からないからサッカーを観ている。チリワインを一本空けた。

しかしどんな大都市や素晴らしい観光地であっても、こういった何でもない田舎で過ごせる方が楽しかったりする。その町の寂しい風景や人々の顔を眺めている方が良かったりもする。決して悪くない。

それでも明日にはパタゴニアへ発つことを決心する。
冬が足音を立てやってきている。ゆっくりもしていられないのだ。

飛行機から景色を眺めると、不意に現れる湖や雪を被った山々に驚く。地図を見てもそれが何という名前なのか私には分からない。やがて地図を見るのをやめてしまう。写真に残そうとカメラのファインダーを覗いても、風景が大きすぎて撮ることをあきらめてしまう。そんな私と景色とは関係なく、キャビン・アテンダントのアドリアーノさんは自分の業務をさっさと済ませると、乗客と楽しそうに立ち話をしていた。雲の上はいつも快晴だ。

飛行機はそろそろパタゴニアの旅の拠点〈プンタ・アレーナス〉に着くらしい。マゼラン海峡も近いという。眼下はパタゴニアだ。強い風に吹かれているのだろうか、禿げた木々が地面に這いつくばるように生えているのが見える。平原には草が広がっていて、牛や羊が生息している。明らかにチリの北とは違う風景だった。

荒涼とした大地が広がり、日本の裏側へ、南米大陸の果てに居る感じがする。雨が降ったり、空は曇り、冷たい風が吹いている。この土地にも、ここに暮さなければいけない人々がいる。

こういうところに来てみたかった。圧倒されるような自然を見たかったし、そこに住む人々を見たかったし、日本では見られない景色を見たかった。ニンウエもプエルト・モンも知らない土地だった。でも旅は続いている。道は続いている。道は自然と広がっていく。
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by francis-sp | 2008-11-16 13:07 | A day in the life

ニンウエ村

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〈ニンウエ〉というチリのチジャンに近い村に滞在している。この村は人口5500人くらいの小さな村で、ここで活動している日本の〈青年海外協力隊=JICA〉のお手伝いをすることになった。

首都サンチャゴに住んでいるやはりJICAで活躍している友人との再会を果たし、落ち着く間もなくよく分からないまま深夜バスに乗り込み、このニンウエにたどり着いた。この村で活動しているJICAの隊員が〈日本展〉を開くとのことで、チリ各地から隊員が集まり、皆で協力しようというのだ。そしてチリをたまたま旅していた私も、そのメンバーの一人に加えられていた。

南米の旅の途中、無事にサンチャゴの友人に会えて、これからどのような旅をしていこうか考えていたところだった。この突然の申し出を断る理由もなく、むしろ幸運だと思った。決して観光では訪れないような村で、地元の人と触れ合い過ごせるチャンスだったし、日本の裏側の遠いチリで活躍している日本人の力になれるというのは、ありがたいことだと思った。

この村で活動しているのは、看護師と体育の教員の2名であり、いずれも女性の隊員だった。青年海外協力隊員としてチリで活躍している日本人は他にもいる。観光資源を開発している人や現地の人にSEを教えている人もいる。また歯科技工士や作業療法士など医療の分野の人もいる。初めて出会う彼らはとてもいい人ばかりで、すぐに打ち解けることができた。

彼らが派遣される場所は、基本的に発展途上の地域だ。ニンウエも電気や水道が通っていない家庭が多いという。村の様子はとても静かで人々もどこか控え目な印象を受けた。夕方になると人々は小さな教会に集まり、ミサのようなものをあげたり歌ったりしている。その光景を外から眺めていると心が温かくなり、彼らはいま幸せなんだなと思った。
サンチャゴのような大都市とはかけ離れている。外からの刺激も少ないのだろう。バスに乗らないと隣の町へ行けない。だからこういった日本展などイベントがあると、子供たちをはじめとして村の人々が集まるのだ。

日本展は集会場みたいなところで開かれた。折り紙を体験するコーナーやスペイン語に吹き替えられた日本のアニメの上映。ヨーヨー釣りや習字コーナー、浴衣試着コーナーなど、イベントがたくさんで子供たちがたくさん集まった。

私が与えられた仕事は、村の小学校の〈コシナ=台所〉で鶏肉にひらすら小麦粉をまぶすというものだった。日本の料理として“鳥の唐揚げ”振る舞うというのだ。大きなボウルに山のように盛られた鶏肉たち…、朝から支度がはじまり粉まみれになりながら、隊員たちと楽しく仕事をした。

チリのどこにあるのかも分からない村にやって来て、普通に旅をしていたら出会うことのない人たちと他愛のない話をしながら、朝っぱらから唐揚げを作っているこの自分の境遇が、どこか笑えた。そして久々の〈仕事〉がどこか新鮮だった。

村の子供たちは素直でかわいい。“ティオ!ティオ!”と声を掛けてくる。人懐っこいのだ。
“ティオってどんな意味なの?”知り合いになった隊員たちに聞いてみると、“おじさんって意味だよ”と教えてくれた。この村で私は〈ベソ=挨拶のキス〉を覚えた。チリでは挨拶するときお互いの右頬と左頬と軽くキスしあうのだ。もちろん子供たちはそれを自然にしてくるので、そんな経験をしたことない私はいい歳して照れくさく、だけどその習慣は素敵なものだと思った。

台所では〈セニョーラ=おばさん〉たちが大きな鍋で子供たちの給食を作っていた。この女性たちは朝からよく働く。“よく働きますね?”隊員にスペイン語で通訳してもらった。“チリの男は怠け者よ…”おばさんたちはそう言って笑っていた。私のような男が台所仕事をすることが珍しいようで、“あなたみたいな人が旦那だったら良かったのに…”とも言っていた。おばさんともベソをして別れた。

日本展が終わった後、村の小学校に遊びに行くと大変なことになった。外国人がやってきたことで、子供たちが私たちの周りに集まり、握手やベソの嵐になったのだ。言葉は分からない。スペイン語でようやく自分の名前を言えるようになったくらいだ。だけど“オラ!”とか“チャオ!”とか声をかければ笑顔で返ってくるし、もう最後の方は日本語で子供たちとコミュニケーションをとっていた。“またニンウエに来てね…”子供たちはそう言ってくれた。

このニンウエで少しばかりスペイン語を覚えた。だけど言葉以外でも十分にコミュニケーションが出来るということを私は学んだ。ありきたりの言葉ではあるが、心は通じ合えるのだ。

夜は隊員のみんなと酒を飲み、いい時間を過ごした。チリのビールやワインをたくさん飲んだ。隊員たちはまるで前から知っていたように私に親切にしてくれた。この村で過ごした時間は貴重で素晴らしいものだったし、彼らに出会えたことが幸せだった。

最後の夜、彼らとベソをしてバスに乗り込んだ。
チリの南へパタゴニアへ行くことを決意したのだ。

“Te Amo!!”
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by francis-sp | 2008-11-09 23:44 | A day in the life

Buena Vista

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by francis-sp | 2008-11-05 13:47 | A day in the life


音楽、旅、本、サッカー、日常などをテーマにfrancisが気ままテキトーに語っています。本でも読むような感じで、ゆっくり見てくれたら嬉しいです。


by francis-sp

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