カテゴリ:インド旅行記( 34 )

インド旅行記34

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〈Tulsi Ghat〉でサドゥーに出会った。
ガンガーに通じる階段を降りてこなければ、おそらく誰も気づかないような場所に、ひっそりとサドゥーが座っていた。

そこはガンガーに面した古い建物の下で、やっと雨風をしのげるような場所だった。
観光客が目当てでもなく、誰かに崇められるためでもない。
彼がそこに居るのは、きっと何か強い意志によるものだった。

僕は持っていたペットボトルの水を勧めた。ありがたそうに数口飲んでくれた。

彼の全財産はそのカバンだけである。
水もなければ食べ物も持っていない。もちろんお金も家もない。

“少し金をくれないか?”
こうやって少しお金を貰っては、マーケットに出向いて食べ物を食べているそうだ。

“私はシヴァのパワーを感じている…”
そんな意味のことを言ったかどうかは分からないが、きっとサンスクリット語の不思議な抑揚の言葉を発しながら、僕にシヴァのシンボルという木の実を3つくれた。

もの凄い生き方をしている人がいる。
何もかも捨て去って、この男性はヒンドゥー教や目の前のガンガーのために生きているのだ。

“また来い…”、“もちろん!”
またこの人に会いたい、そう思った。
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by francis-sp | 2006-04-23 14:52 | インド旅行記

インド旅行記33

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素敵なガートを見つけた。
〈Tulsi Ghat〉という、街からすこし離れたところにあるガートだ。

朝からまともに食事をしていないことに気づき、〈ターリー〉も食べ飽きていたので、他に旨そうな店はないか探していた。当てもなく歩いていると、サンスクリッド語で書かれた緑色の標識を見つけた。この路地を進んでいけば沐浴場があるはずだ。
これまでこんな標識をガートの入り口でよく見かけていたのだ。

ガートがあると、ついつい寄りたくなってしまう。
路地を進むと、民家や学校があってとてものどかな雰囲気だった。地元の人は僕のような外国人が歩いていても、とりわけ関心を払わない。天気もよくのんびりとした昼下がりというところである。
これまでの喧騒とはかけ離れた、インドではじめて歩くような路だった。

その路の終点は、やはりガートだった。

猿や山羊みたいな動物が木陰で休んでいる。
人も少なく、家族連れがガンガーで沐浴している。
太ったサドゥーが沐浴を終えて、住処に戻ってきたようだ。
ここには客引きも土産物屋もいない。そして何よりも誰も僕に関心を払わない。

おそらくここは、地元の人しか来ないような沐浴場だった。
ここならゆっくりガンガーを眺めていられる。
僕はどっかりと腰を下ろし、しばらく沐浴をしている女性を眺めていた。

ヴァラナシに来て、はじめて静かな場所でゆっくりとガンガーを眺めることができた。
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by francis-sp | 2006-04-08 16:40 | インド旅行記

インド旅行記32

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ヴァラナシでは本当によく歩いた。歩いて街やガンガーを見て回るのが好きだった。
でも歩き疲れたときや、ちょっと遠くへ行きたいときは〈リキシャ〉をよく利用していた。

街を歩いていると “どこ行くんだ?”、“リキシャに乗らないか?”とよく声を掛けられる。運転手に行き先を告げて値段交渉が始まる。お互い納得がいけば〈リキシャ〉に乗りこんで出発である。

僕がインドに行った時期は9月下旬で、北インドはもっとも暑い時期だった。ヴァラナシの道路事情は、まだ舗装されていない道もたくさんあるし、昼夜問わず砂埃が舞っていた。そんなヴァラナシの街を、ちょっと頼りなくて今にも壊れてしまいそうな〈リキシャ〉が行き交っているのである。
デリーではオート・リキシャが、ヴァラナシではサイクル・リキシャが主役だった。

運転手は大変である。ほとんど立ち漕ぎ状態の重労働である。炎天下の中、汗を掻きながら必死にペダルを漕いでいる。
僕はと言えば、道路の凸凹がもろに伝わってくるシートに腰掛けながら、そんな彼らの後ろ姿を眺めている。彼らの働く姿を見て、だんだんと彼らが頼もしく見えてくる。

紳士的な運転手にも出会った。
前や隣を走っている〈リキシャ〉ぶつかりそうになると、“大事な客を傷つけないでくれ!”と言わんばかりに、大声で相手の運転手を注意してくれた若者や、お金を渡すと両手で丁寧に受け取り深く頭を下げお礼を言った初老の男性、、
ツーリストでお金を持っているからかもしれないが、インドでは客は神様と同じようなものだとか、朝一人目の客は幸運を呼ぶ者だと考えていると聞いた。とにかく彼らの行為が嬉しかった。

そんな彼らの一人に頼んで、写真を撮らせてもらった。断られるかと思ったが、快く引き受けてくれた。頼もしくて優しい好青年の印象の彼だったが、カメラを向けると、少し胸を張ってもう一度ハンドルを握り締めた。

“これが俺の仕事だ…”と静かに言わんばかりだった。
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by francis-sp | 2006-04-02 01:24 | インド旅行記

インド旅行記31

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日本で遠藤周作の『深い河』を読んで、ずっと会いたいと思っていた〈女神・カーリー〉に会えて、僕はとても嬉しかった。充実してなんて素晴らしい旅なんだと思った。
ここ〈ヴァラナシ〉に僕がいま居るということに、ただただ感謝していた。

その後は、〈マニカルニカ・ガート〉へ向かった。
死者を火葬してその灰をガンガーへ流すという、ヴァラナシであまりにも有名なガートである。

しかしそこに行ってみると、特別に感じるものは何もなかった。
死者の火葬は、昨夜に〈ハリスチャンドラ・ガート〉で偶然にも見てしまっていたし、興味だけでそれを見るというのも気が引けた。死者を火葬することは、ここヴァラナシでは自然なことなのだ。僕にとってもそれはもう自然なことだった。

とは言っても、ここから眺めるガンガーの景色はとてもきれいだった。

〈マニカルニカ・ガート〉はツーリストが集まる場所ということで、またしても客引きがしつこい。
あからさまに金目当てである。どこまでもしつこく、この場所でゆっくりとはしていられないのだ。
ツーリストとしては、せっかくヒンドゥー教の聖地・ヴァラナシに来たからには、ゆっくりガンガーを眺めて物思いに耽ってみたい、そう思うはずだが、彼らはそれを許してくれなかった。

強引に客引きをあしらいつつ、帰り際、“まだ一週間くらいヴァラナシに居るから、またここに来るよ!そのときまた会おう!”と彼らに言っておいた。
実際はあと二日でヴァラナシを発つ予定である。彼らに会うつもりもない。しかし全くの嘘ではない。

またヴァラナシに来たい、またシヴァやカーリーの寺院に行きたい、まだまだ時間が欲しい、そしていつか必ずまた来るだろう、、僕はそう思い始めていた。
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by francis-sp | 2006-03-22 14:01 | インド旅行記

インド旅行記30

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“カーリーの寺院なら、そこを右に曲がったところにあるぞ!”
細い路地をひたすら歩き、ようやく寺院にたどり着いたようだった。しかしそれらしい寺院はどこにも見当たらない。今まで歩いてきた路地が続いているだけである。

僕が迷っていると一人の男性が案内してくれた。寺院は僕のすぐ目の前にあった。

ヴァラナシのカーリーの寺院は、寺院というよりは路地に所狭しと並んでいる建物と何ら変わらない、気が付かなかったら通り過ぎてしまうような小さな寺院だった。隣や向かいは商店で賑わっていて、今まで歩いてきた路地に自然と存在していた。

カーリーの壁画が路地から見えたように、いま僕が立っているところからも、カーリーが祀られているのがうっすら見える。日差しが遮られ寺院の中は薄暗く、中に入ってみるとじっとりとして土臭かった。
目の前には黒い姿をした〈カーリー〉がいた。

身体は小さくて痩せてしまっている。怒り狂って真っ赤な舌を出している。血を好むため血の象徴である赤い花の首飾りかけられている。

〈カーリーはすごく怒っている…〉僕はその理由を知りたかった。

“何故カーリーは怒っているんですか?”近くの〈サドゥー〉らしき男性に聞いてみた。
“お前は怒ったことがないのか?”と男性は尋ねてくる。“ときどき怒るときがあります…”少し考えて僕は答えた。“あなたは怒ることがありますか?”今後は僕が尋ねると、“もちろんあるさ”と彼は答えるのだった。

僕はインドに来て何度怒っただろうか?インド人に騙されそうになって何度腹を立てただろうか?そう言えばさっき、しつこい子供に対して腹を立てたばかりだ…。
日本にいるとき怒ったことはあっただろうか?最近本気で怒ったことがあっただろうか?こんな毎日のように腹を立てたことがあっただろうか?今は思い出せない。けど日々の生活の中で、ほんの些細なことやくだらないことで腹を立てたり怒ったりしている。
けどそれも、よく考えれば人間の自然な感情だ。

“カーリーが怒っているのは、そんなあなたと同じ理由だ…” 確かに男性はそう言った。
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by francis-sp | 2006-03-12 16:01 | インド旅行記

インド旅行記29

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インドではさまざまな顔をした子供に出会う。

途中のガートで沐浴の風景を眺めていると、水遊びをしていた子供達が寄ってきた。
“ガンガーにお金を投げてごらん!ラッキーなことが起きるよ!”
おそらく観光客に小銭を投げさせて、あとでガンガーに潜ってそのお金を拾い、自分達のものにしてしまおうという訳だ。なかなか可愛い手口である。

僕がお金を投げないことが分かると、“このお金をルピーに変えて…”と一人の子供が言ってきた。彼の手には日本の百円玉が二枚握られていた。
きっと以前、日本の観光客がガンガーに投げ入れたものだった。

今の僕には日本円は必要無かったが、きっとその子は両替してくれる日本人をずっと待っていたのだろう。そんな気無げな姿を想像すると、とても愛おしくなってルピーに両替してあげることにした。
しかも70ルピーという、むしろ僕が損するようなレートで…

“これは君にとってグッドなレートなんだよ!僕が両替屋でラッキーだったな。”
これまでインドで何度もボラれたが、子供相手にこっちが得する必要は無い。思いがけない大金を手にした子供は、喜んで走り去った。

日本で買ってきた飴も、子供達にあげたらとても喜んだ。
そんなときは持っている飴が無くなるくらい、次から次へと子供達が寄ってきた。
本当に貧しいだろう子供から〈バクシーシ〉を求められたら、ポケットに入っていた小銭を渡したこともあった。

しつこく観光客に付きまとう子供もいる。ガイドをしたからと “20ルピーよこせ!”と言ってくる子供もいる。僕も腹を立てキツい言葉で返す。それでも分からなければ、最後は完全にその子供を無視をする。悲しいことだがそれしか方法が無いのだ。

路地を歩いていると、遊んでいた子供が、“写真を撮って~”と言ってくることもある。それがまた可愛いかった。“ナマステ~”というポーズで写真を撮った。

お礼に飴をあげようと思ったら、地面に落としてしまった。それを拾って渡そうとすると、それを見ていた男性が “それを地面に捨てろ…”と言う。よく状況が分からずにいると、彼は持っていた水差しで僕の手と飴を洗い流してくれた。

インド人にとって地面は不浄な場所だ。土を触る仕事の人は、身分〈カースト〉が低いと聞いたことがある。そのため、おそらくガンガーで汲んだその水で不浄な手を洗い流してくれたのだった。
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by francis-sp | 2006-01-31 15:13 | インド旅行記

インド旅行記28

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路地をしばらく歩いていると、突然〈女神カーリー〉が描かれている壁画が現れた。

真っ黒な肌をしたカーリーが、夫のシヴァを踏みつけている。
4本の腕を持ち、ドクロで出来た首飾りをしている。
生け贄の血を飲み込むために、真っ赤な舌を伸ばしている。

その姿を見て、一目でカーリーだと分かった。
ヴァラナシで始めてカーリーの姿を見た。

近くに居た人に、“カーリーですか?” と尋ねると、やはり“そうだ…”と言う。
カーリーの寺院に向かう途中、思いがけないところでカーリーを見れてとても驚いた。
そしてとても嬉しかった。

遠藤周作の『深い河』に登場していた女神カーリーとチャームンダーは、しばしば同一視される。彼女は他のサラスヴァーティ、ラクシュミー、パールヴァティのように清純でも優雅でもない。美しい衣装もまとっていない。逆に醜く老い果て、苦しみに喘ぎ、それに耐えている。
彼女はインド人と共に苦しんでいる。

『深い河』で読んだような、僕はそんなことを思い出しながら女神を眺めていた。
すると急に近くにいた女性が話しかけてきた。

“Kali is angry, very angry!” (カーリーはとても怒っているのよ…)

カーリーは怒っている。カーリーはもの凄く怒っているのだった…
なぜそんなに怒っているのか?
寺院はおそらくここから近い。僕は先を急ぐことにした。
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by francis-sp | 2006-01-29 15:29 | インド旅行記

インド旅行記27

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シヴァの寺院を案内してくれた青年と別れ、カーリーの寺院を探すことにした。
聞くところによると、この路地をひたすら歩いて行けばカーリーの寺院にたどり着けるらしかった。人々に尋ねながら歩いていけば、きっとカーリーの寺院が見つかる…。

“Excuse me. May I ask you…”
“Where is the Kali Temple?”、“I'd like to go to the Kali Temple.”

そんなことを口にしながら、ひたすら路地を歩いた。
人々はとりあえず、いま歩いている路地の先を指差した。確実にカーリーの寺院に近づいている。
今日も朝から暑い。汗が吹き出してくる。1リットルのミネラルウォーターを片手に歩いた。

しかしこの細い路地は、おそらくインドというものを凝縮したようなものだった。

よく旅行記とかを読むと、香港の九龍城やバンコクの中華街など、熱気や混沌に満ち溢れているという意味で “カオスに満ちた”と表現される。僕は 〈カオス〉という言葉の意味は分からないが、いま自分がいるこの場所もきっと〈カオス〉という言葉がぴったりだった。

路地に沿って小さな建物がひしめき合うように建てられている。旅行者を相手にしたゲストハウスや土産物屋やヨガ道場がいくつもある。その他によく分からない建物が連なっていて、その狭い路地を人々が行き交い、沐浴をしただろう人々や、これから沐浴をするだろう人々や、ときどきサドゥーらしき人や牛や犬が歩いたりして、とにかくエネルギーに満ちているのだ。

この路はまるで迷路みたいだが、おそらくガンガーに沿って伸びている。
歩いていると時折り右手に視界が開けることがある。建物と建物の間に急に空が見えることがある。その路地を進んで行けば、ガンガーを望むことが出来た。そしてそこは必ず沐浴場だった。

〈深夜特急〉の作者・沢木耕太郎も、きっとこんな路地を歩いたはずだった。
僕が旅をすることのキッカケとなった本である。

そういう訳で、路地を少し歩いては新しいガートを眺め、また路地に戻って少し歩いてまた新しいガートを眺める、ということを繰り返した。寄り道をしながらカーリーの寺院を目指した。
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by francis-sp | 2006-01-03 17:48 | インド旅行記

インド旅行記26

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インドに来てはじめてヒンドゥー教の寺院に訪れた。
ヒンドゥー教の祈り方や作法はよく分からないが、見よう見まねでヒンドゥー教の人々と同じようにシヴァに祈りを捧げた。

まず入り口の露店で5~10ルピーくらい払い、綺麗な花の首飾りと一握りの花をもらった。そして履いているサンダルを預かってもらい、裸足で寺院に入った。中はひんやりして涼しい。天井からところどころ吊るされた鐘を鳴らしながら、回廊を左回りに進んでいった。

街を歩いていて聞こえてくる鐘の音は、どうやらヒンドゥー教寺院のものだった。

回廊の壁にはびっしりとサンスクリット語で何かが書かれている。
シヴァの寺院だけに、シヴァのシンボルであるリンガを形どった石造がいくつも置かれている。
人々はそれらに額を付けて祈りを捧げ、花を添えている。

オレンジ色の衣装に身をまとった修行僧らしい人々が座っている。
彼らがきっとサドゥーなんだ、と思った。

四角い回廊を半周すると、内壁に扉がありさらに中に入っていった。
鐘を鳴らしながら進んでいくと、小さい部屋がありそこに大きなリンガが祀られていた。そこに人々がひしめき合い、リンガの周りを廻りながら祈りを捧げているのだ。彼らは右手で花をばらまくようにリンガに捧げ、リンガの白い液体を頭と口に注いでいる。
目に見えない渦のようなものを感じる。僕も彼らと同じように祈りを捧げた。

何とも言えないスピリチュアルな体験だった。
心と体が無になり、意識が朦朧としてくる。見えない力に上から押されているような、自分の存在が薄くなっていく。核に触れた気がした。

リンガの液は甘い味がした。
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by francis-sp | 2006-01-02 00:26 | インド旅行記

インド旅行記25

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なんと僕が泊まっているゲストハウスの真ん前に、ヒンドゥー教の女神カーリーの寺院があったのだ。たまたまタクシードライバーに勧められて選んだゲストハウスだ。それもゲストハウスの正面で、昨日から何度もその寺院を目にしているのだ。
その偶然に僕はとても驚いた。

インドって国はそうなんだ。平気でそんなことが起こる。

朝気持ちよく目覚めたのに、窓の外を見てみると貧しい路上生活者が見えたり、レストランで食事をして満足して外を出てみると、物乞いからバクシーシを求められたり、親切だと思った人が実はカネが目当てだったり、、心地よかったり不快だったり、気持ち良かったり不愉快だったり、、偶然では考えられないことが次々と起きたりする、そんなことが繰り返される。さっきまでの気持ちや感情が続かないのだ。どこかへ行ってしまったり、すぐに正反対の気持ちになったりするのだ。

ヴァラナシに来てそんなことが続いている。
でも僕はそれをむしろ楽しんでいた。こんなエキサイティングな経験は初めてだ。
こんなことは日本ではありえない。

“寺院のオープンは9時だ。それまでレストランで朝飯でも食べていけ…”
ゲストハウスの主人はそう言ったが、僕は“じゃあそれまで先に大きいほうのカーリー寺院に行ってみます!”と言って朝のヴァラナシの街を歩くことにした。

主人がアドバイスしてくれた。
“いいかよく聞けよ。お前がこの街を歩けば、たくさんの人間から声を掛けられる。旅行者だってことでカネを取ろうとしたり物を売りつけようとする。声を掛けられてもそんな輩は絶対に無視するんだぞ。付いて行っちゃダメだぞ!”
デリーに居るときから僕はそんなこと分かりきっているが、“ありがとう。気をつけるよ”と礼を言って歩き出した。

そしたらものの50メートルも歩かないうちに、一人のインド人学生から声を掛けられた。
“これからシヴァの寺院に行くんだけど一緒に行かないか?今日は月曜日でシヴァの日だから行ってみるといいよ”
“今日は月曜日だっけ?シヴァの日なんだね。初耳だよ。いいね!じゃあ連れて行ってくれ!”僕は彼の親切を快く受けることにした。
よし、カーリーを観る前にシヴァ寺院だ。女神カーリーの夫はシヴァなのだ。
もし彼があやしかったり、カネを求められたら断ればいいのである。
それより彼からヴァラナシやヒンドゥー教のことを教えてもらえそうだ。

こうしてヴァラナシ二日目の朝が始まった。
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by francis-sp | 2006-01-01 16:36 | インド旅行記


音楽、旅、本、サッカー、日常などをテーマにfrancisが気ままテキトーに語っています。本でも読むような感じで、ゆっくり見てくれたら嬉しいです。


by francis-sp

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