またシャワーを浴びているときに停電した。
このゲストハウスに泊まってからこれで3度目だ。
私がこの町に来てから、時折にわか雨が振るようになった。雨が降ると発電所が水漏れして町全体が停電するのだと宿の主人が言っていた。
このハンピという町は、ゆっくり過ごすには丁度いい。車やリキシャは入って来れないから騒音は無いし、町は小さいから喧騒から逃れられる。夜は虫の鳴く声を聞きながら静かに眠れる。長期滞在するにはもってこいの町だ。
私は昼前にもぞもぞ起きだして、歯を磨きシャワーを浴びる。朝から働く女性たちの声や洗濯物を地面に叩き付ける音で目覚めるのだ。ベッドの上で体をゆっくりほぐすとすっきりする。そのまま屋上のテラスにいって、チャイを注文する。コップ一杯に注がれたチャイに砂糖を4杯きっちり入れてそれが溶けるのをゆっくり待つ。
このテラスからの眺めはいい。
この町が巨大な岩が積み重なるようにできた山に囲まれていることが分かるし、メインバザールの方には高くそびえるヒンドゥーの寺院が見える。反対側にはバナナの木が生い茂り、その林を抜けると大きな川がある。この町は本当に不思議な地形をしている。
ハイデラバードから夜行バスで12時間かけて来たが、そのバスも物すごいオンボロで凄まじい旅だった。真っ暗な夜を、両脇にバナナやココナッツの木が生い茂る道を、バスは全速力で突っ走るし、バスは常に激しく揺られ、時おり震度幾つかの立て揺れが襲う。道を横切る牛と何度かぶつかりそうになり、急ブレーキがかかる。
イランからインドへ渡って2週間経とうとしているが、インドの旅は何が起きてもこれがインドだと思って楽しむ気持ちを忘れてはいけない。そう思うようになってからまだ間もないが、インドの旅が楽しくなった。バスから眺める風景は南インドらしい緑あふれるものだったし、突如あらわれるきらびやかな電飾で飾られたヒンドゥーの寺院やそこから聞こえて来る音楽は、どこか官能的な世界だった。そして南インドは、人がとても穏やかで親切だ。
チャイを飲んでいると、子ども達の歌声が聞こえてくる。私はこの町がとても気に入っている。
この町で歩いて見て廻れるものは見てしまったし、まだまだ寺院はあるのだがわざわざ見に行くのも暑くて疲れてしまう。ボートで川の対岸へ渡れるらしいが、そうしたいとも思わない。
そんな町で過ごして5日目、特にすることも無いこの町でこうして過ごしてしまっている。
いや本当のことを言うと、こういう時間を過ごしたかったのだ。このハンピに来たのはそのためだった。半年の旅も終わりが近づき、こうして静かに旅の終わりと向き合おうとしている。何事も起こらないように、静かに一日が終わるのを待っているのだ。
こんな旅行者を見たことがある。まだ旅を始めたばかりのニューヨークのホステルでだ。彼はイギリス人で彼もまた半年の旅を終えて、自分の国へ帰るフライトの日をじっと待っているのだった。確かオーストラリアやニュージーランド、太平洋の島々、東南アジアを旅したと言っていた。“素晴らしい景色も見たし、たくさんいい人にも出会えた、いい旅だったよ”、ベッドに横になり天井を眺めたまま彼はそう言っていた。
いつか私もその時が来るのだと思っていたが、今その時が来てしまっている。
旅を終えようとして、旅は人生でも何でもない、そう思うようになった。
旅は日常の中の非日常だし、旅を人生として生きるのは私には出来ない。私には日本という国があってそこでしか生きられないからだ。私は旅という時間を送っているが、私がいない日本という時間も確実に存在している。もしそのことを忘れてしまったり無くしてしまったらアウトだ。日本には家族がいて大切な人がたくさんいる。だから私は旅を終えて日本で生きていきたいのだ。
しかし一方で、旅は人生ではなくても、人生は旅と似ているところがある。
旅をするのであれば幸せな旅でありたいし、楽しい旅をしたい。“何があってもインドだ”、と楽しむ気持ちを忘れてはいけないように、人生でも同じことが言えるかもしれない。人との出会いは貴重だし大切にしていきたい。旅をしていると困難もあるしアクシデントもある。良い日もあればそうでない日もある。それでもいつでも笑顔を忘れず元気で前向きに旅をしたいし、自分のペースで自分らしい旅が出来たら最高だ。
そして一番似ていると思うのは、何か新しいものを求めていくことだと思う。見たこともない、聞いたこともない、感じたこともない、何かを求めて旅をしていくことだ。
旅を人生とするような生き方に誰もが憧れる。私もそんな旅を一度してみたくて、旅にすべてを注ぎ込んだ。旅の途中で読んだ、『おくのほそ道』の松尾芭蕉もそうだった。彼もまた、そぞろ雲に憧れ長い旅をした。しかし旅はそれほど高貴なものでもないし、崇高なものでもないかもしれない。いつかは旅を終わらせて、日常に戻らなくてはいけない。旅は旅でただの遊びだ。日常の中の非日常なものだ。
そんな旅に半年もの時間を費やしてしまった。いやあえて費やしたのだ。
旅に出たのは旅でしかえられない何かがあるからだった。そしてこの旅でそれは十分過ぎるほどに得ることが出来た。上手く言葉では説明できないが、日本を離れてみて分かることや知ることがたくさんあった。そして日本へ帰ったら勉強したいことが山ほど増えた。
この旅は終わるが、また旅をしてみたい。インドに来てみてそう思うようになった。まだまだ行ったことのない場所にいってみたい。旅はまだ終わりそうもない。そう思っている。
イランの村で腹を壊しながら、28歳の誕生日を迎えてしまった。生涯忘れられない誕生日となった。人生が80年だとすると、人生という旅はまだ50年以上も時間がある。この先の人生は、旅と同じように多くの困難が待ち受けているし、何が起こるか分からない旅だ。とてもハードな旅だと思う。
今回の旅と同じように私はそれを乗り越えられるだろうか。幸せな旅が出来るだろうか。
願わくば、そんな旅をしてみたいと思っている。
明日はゴアへ向かう。小さなビーチで4、5日過ごしたらまたこのハンピに戻ってくる。そして最後の町、チェンナイへ夜行列車で向かおうと思っている。チケットも手配したし、あとは予定通り動くだけだ。
少々考えすぎてしまったかもしれない。旅はまだ1週間あってまだ終わっていない。旅の途中であれこれ考えすぎることは良くないことだ。滞在先で腰を落ち着けてしまうと、こういうことになるのだ。分かっている。そうなってしまったら、とにかく次の目的地へ向かうことだ。明日の列車の時間のこと、今晩泊まる宿のこと、飯のこと、旅をしているのならそんなことだけ気にしていればいい。そしていくら考えても、なるようにしかならないのだ。ではゴアのビーチでフルムーンを迎えて、リフレッシュでもしよう。
shanti、shanti、、旅はまだまだ続く。さあ、ゆっくり行こうではないか!!