エルザ・ソアレスはブラジルはリオ出身の女性歌手だ。
旅に出る前の日本で、たまたまレコード屋で見つけて、彼女の歌はよく聴いて好きだった。
もう80歳くらいのバアサンなのに、しゃがれた声でファンキーにハスキーに唄う彼女のことは、本国ブラジルでも大半のブラジル人は知っていた。サンパウロで2、3週間くらい同居していたマルコスも、エルザのことを知っていた。何気なく私が彼女の歌を口ずさんだら、彼もどこかで聞き覚えがある感じで唄っていた。昔、ラジオでよく流れていたという。
“Rio de Janeiro, Gosto de você” という歌詞だった。
“リオデジャネイロ、あなたが好きよ” という意味だ。
このリオの中心に近い〈Catete=カテチ〉という小さな街は、昨日まで居た〈イパネマ〉とは違って人々の生活の匂いがする。クソ暑い気候の中、街を歩いて〈チョップ〉と呼ばれる生ビールを数ヶ月ぶりに飲み、やはりブラジル料理であるフェイジョンを食べた。どちらかと言えば、私は人間臭い街の方が好きだと思ったりする。
ブラジルのアートは、近代的でありどこか斬新である。
サンパウロのヒッピー市でブラジル人の描く絵画を初めて見たが、彼らの描く“花”は大胆である。
“美しく感じたものを美しく描きたい” ただそれだけ。
目の前に花があるとしたら、彼らはキャンパスいっぱいに大きな花を描くのだ。茎とか葉っぱとか無視だ。バランスとか全体像とか日本人が気にするようなことは無視だ。自分が美しく描きたいものだけを描く。
それはどこか自然で人間らしく素敵なことだと思う。
だけどそのような感性がありながら、南米ブラジルでは建造物は無機質にポップに作り上げる。
この小高い丘に立つキリストの像もそうだ。
ロザリオを携えた男性が、観光客を尻目に静かに祈りを捧げていた。
祈りはいつでも静かだ。
リオでは芸術に触れてみようと街を歩いたが、国立美術館や博物館はストライキに入っていて、いつ再開するか分からない状況であった。経営が破綻して職員に給料が払えないのであろうか?それとも上部の人間が金を持ち逃げしたのだろうか?そうなってくると、イパネマ・ビーチで眺めたブラジル娘たちの大胆な水着姿の方が芸術的だと思えてくる。日中の太陽の日差しを避けココナッツジュースを飲みながら、それでもブラジルの太陽の恵みに感謝したくなる。
サンパウロにいるとき、面白い新聞の記事を目にした。
ある男が愛人を殺すために映画館に入り、映画を上映している最中に犯行に及んだという。ナイフか何かで愛人を殺した後、捕まるのを恐れたためすぐに映画館を後にしたそうである。ここまでですでにクレイジーな話だが、彼はそのあと映画の続きが気になって、映画館に戻ってきたというのだ。
当然、彼はその場で逮捕。新聞の一面を飾ることになる。
ブラジルを旅行していると、そんなハードな話をよく聞く。ブラジル人もこのニュースに関して「クレイジーだ。」と言っていた。庶民もまたそのような事件を見たり聞いたりして、自分の国がろくでもないことと、ろくでもない人間がいることを自覚している。
そんな街だから私は根城にしているホステルに帰り、まだ明るいうちから“ピンガ”と呼ばれるブラジルのキツい酒を一人飲んでいる。
私の泊まっている部屋は9人部屋〈ドミトリー=相部屋〉で、3段ベッドが3つ並べられている質素な部屋だ。この後にも先にもドミトリーにはお世話になったが、3段ベッドははじめてだった。ベッドのマットレスには蟻が住んでいて時折這い出してくる。しかし幸運なことにこの部屋は私一人しか宿泊していない。酔っ払って日記に曲がりくねった文字を綴ったりしている。
明日は、サン・ジョアン・デル・ヘイという静かな田舎町へ向かうことを決める。
ブラジルのバスもまた、他の南米の国々同様に物凄いスピードで走る。でもバスに乗ってしまった以上、もうどうにもならない。自分の大切な体を、そいつに委ねるしかないのだ。
エルザ・ソアレス、教えてくれ。
リオデジャネイロは愛してくれているか?